不妊治療中の女性9割が悩む「仕事との両立」 「仕事か治療か」苦渋の選択を迫られる場合も
「『お母さん』という枠組みに入ることができず、社会の一員になれないと追い込まれた気持ちでした。唯一、社会との接点であった仕事も、子どもたちに囲まれていることがつらいと感じるときもありました」
1回目の妊娠は6週目で流産した。42歳のときに2回目の妊娠。もともと治療は43歳になるまでと決めていたため、それはラストチャンスだった。「今度こそ」と思い、自分の体を最優先に、せっかく軌道に乗りつつあった教室を閉鎖するという苦渋の決断をした。が、10週目で流産してしまう。2回目の流産で不妊治療に区切りをつけた。小野さんは44歳で乳がんを患った。幸い、検診による早期発見だった。
「もしあのとき出産して子育てをしていたら、検診には行っていない。あの子が私に教えてくれたのかもしれない」
がんの治療も2014年末に終了し、この1月小野さんはオーストラリアに旅立った。英語指導のプログラムを学ぶ3カ月間の留学だという。「やっとこれから自分の人生を歩むことができます」と目を輝かせていた。
こっそりと通院を続ける日々に限界
結婚して3年が経った33歳のとき、阿部博美さん(52)は初めて診察を受けた。医師である兄に「子どもがほしいなら早めの診察を」と勧められ、初めはほんの軽い気持ちだったという。それがこの後4年間にも及ぶ治療生活の始まりとは思っていなかった。
当時、放送局の関連会社で人材派遣部門を任されていた阿部さんにも、仕事との両立が重く肩にのしかかった。病院で2~3時間待たされて、やっと診察にこぎつけても、自分の体のサイクルとのタイミングが合わず「2日後にまた来てください」と言われる。ところが2日後には重要な会議が入っていて病院に来ることなんてできない。そんなことの繰り返しだった。不妊治療に対する社会の理解もまだ低く、職場には治療のことを告げるのは気が引けた。
「営業先に直行しますと言って病院に行くこともありました。でも内心はヒヤヒヤ。病院にいる間に営業先から会社に電話が入ったらどうしよう、突発的なトラブルが起こったらどうしよう、と」
大きな精神的ストレスを抱える日々だった。人工授精を5~6回試みたが妊娠には至らず、その後、体外受精にステップアップするか悩んだ。必要な書類をそろえてあとはハンコを押すだけだった。が、結局そこまで踏み切れず、不妊治療に区切りをつけた。
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