サニーサイドアップの知られざる実力、スポーツだけじゃない!《広告サバイバル》
中田英寿、北島康介、杉山愛……。一流スポーツ選手のマネジメントを一手に引き受ける会社として、脚光を浴びるサニーサイドアップ。だが、その根幹を支えているのはPRビジネスである。
PR会社とは企業からの依頼を受け、その企業の商品やサービスの価値をメディアなどを通じて消費者に訴えかける、いわば「話題作りの仕掛け人」。広告代理店のビジネスと決定的に違うのは、メディアの広告枠を買うのではなく、パブリシティなどによってメディアにニュースとして取り上げてもらうことで、周知効果を狙う点だ。広告のような確実性はないが、ひとたび話題になれば絶大な宣伝効果を上げられる。
同社の設立は1985年。現社長・次原悦子の母が起こしたPR会社から始まった。当時高校生だった次原は、学校に通いながら母の仕事を手伝った。「最初は、中小企業からの依頼がほとんど。限られた予算の中で、どうにかその商品を世の中の人に知ってもらえるよう知恵を絞っていました」(次原)。
たとえば「吹きこぼれない鍋のふた」という商品。次原が考えたのはほかの便利なキッチングッズと一緒にして女性誌で特集記事を組んでもらうことだった。この特集を機にワイドショーに取り上げられ、商品はヒットする。次原は「予算がなくてもちょっとしたアイデアでムーブメントは作れる」と確信。しだいに「PRのノウハウを使って、自分たちの商品を売ればビジネスになる」と考えるようになった。そこへ現れたのが、あるスポーツ選手だ。
91年、当時まだマイナーなスポーツだったトライアスロンの宮塚英也選手が同社を訪れ「自分をPRしてくれ」と頼んだ。選手の契約交渉はもちろん、大会が開催される地方で話題になるようメディア取材の手はずを整え、大手スポンサーを獲得。その手腕が買われ、マネジメント事業は一気に拡大していく。「人も商品も、どうバリューアップをしてメディアに仕掛けていくかという点では同じ。バリューアップのノウハウを持っている」(次原)。
同時に本業のPRでも、単発ではなく長期で企画からかかわるものが増えた。たとえば東ハトの「暴君ハバネロ」では「世界一辛い唐辛子を使ったスナック」という話題性にフォーカスし、ネーミングからパッケージまで開発全般に携わった。