新潟キャバ嬢の衣裳が華やかになったワケ 「地方は売れない」を覆した女性社長の直感力
清水さんにその疑問の答えを求めると、「直感です」という回答が返ってきた。
「私自身、新潟に帰るつもりなかったんですよ。寒いし、雪は降るし、埼玉に比べたら何にもないし。でも、たまたまゴールデンウィークに友達に会うため新潟へ戻った時、繁華街で働く女性たちが目に止まったんです」
彼女たちが着ていたのは、ピンクやエメラルドグリーンの派手な色のスーツ。肩パットを入れ、前髪を内巻きにしたその姿は、1990年代から時計の針が止まっているようだった。ここなら都会では当たり前の、きらびやかで派手なドレスが売れるに違いない、彼女はそう確信した。
思い立った彼女はゴールデンウィーク中に契約書を書き、翌月にはその繁華街に8坪のドレスショップを構えるオーナーとなっていた。
行動すれば必ず突破口は開く
しかし、店舗を持ったからといってすぐに軌道に乗るわけでもない。
「出店してから2年近くは月に200万円くらいの売り上げが続きました。仕入額を考えるとあんまり儲かっていなかったんです。店で待っていてもお客さんは来ないんだと思って、外に売り込みに行こうと思いました」
清水さんが始めたのは、自分自身が商材であるドレスを着ての飛び込み営業。自らがドレスを着ることで、ドレスの魅力をわかってもらえる、彼女はそう考えた。
夜の街を一軒一軒訪ね歩く日々。最初はまったく売れず、門前払いが続く。生来前向きな清水さんもさすがにめげそうになったというが、そこで諦めなかったのは、行動することが必ず突破口を開くと信じていたからだ。
「新潟の人の性質として、外から来た人にすぐには心を開かない性質があるんです。でも逆に、一旦心を開いてくれるととてもよくしてくれるんです。きっかけはあるお店の店長さんでした。彼は東京の夜の街を知っていて、スーツ姿のキャバ嬢を『ダサい』と感じていたみたいです。その店長さんが知り合いのお店に紹介してくれてからは、一気に販路が広がりました」
店を訪れる人が増えたおかげで、顧客からの「こんなドレスが着たい」という要望も増えた。そこで清水さんはメーカーにオリジナルドレスの相談をする。しかし、小ロットのため、聞き入れてもらえなかった。
「ドレスのタグを見たら、みんな『Made in China』って書いてあるんです。だから、自分で中国に工場を開拓しに行くことにしました」