北陸新幹線「小浜ルート」と原発の意外な関係

「大阪延長」で議論が複雑化、カギ握る福井県

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小浜市や敦賀市を通るJR小浜線は2003年に直流電化。工費101億円のうち57億円は電力会社からの寄付金、駅整備には電源立地地域対策交付金が投じられた

このように、4つの案ともに一長一短があり、どれも決め手に欠けるのが現状だ。近畿各府県ですら一枚岩ではない。橋下前知事と距離のある兵庫県知事は「小浜ルート」に秋波を送る。大阪府知事が「どのルートでも結構だから早く決めて」と言い出し、石川県知事に苦言を呈される場面もあった。

ところで、なぜ北陸新幹線は小浜市経由とされたのか。在来線は米原駅を起点としているのに不思議な話である。与党の検討委員会でも質問されたが、国交省は回答できなかったという。

北陸への新幹線誘致活動が始まったのは1960年代だ。当初、福井県も含めて沿線の自治体や政治家は「米原ルート」を推していた。しかし、1972年になって、中川平太夫福井県知事が突然「小浜ルート」を主張し始め、田中角栄首相に直談判を繰り返す。

同じ1960年代、敦賀市など嶺南地域で原発誘致が始まっている。産業が乏しく経済的に停滞していた地域経済の発展を期待しての動きだった。1970年に日本原子力発電の敦賀1号機が稼働すると、原発関連産業や公共工事が新たな雇用を生みだし、立地自治体は地方税収入の増加、そして1974年の電源三法交付金制度のスタートで財政的に潤うようになった。

国がエネルギー政策を進めていく中、福井県に原発増設を引き受けてもらうのには、なんらかの材料が必要だった。それが、北陸新幹線「小浜ルート」であった。

原発容認「いつか新幹線が」

田中は赤鉛筆で「福井→敦賀→小浜→大阪」とルートを描き、翌1973年に北陸新幹線の整備計画を定めたとき「小浜ルート」で閣議決定をしている。

当初、原発慎重派だった中川は、1970年代半ば以降、原発増設を容認する。対立していた自民党県議を巻き込んでオール与党体制を構築する過程で、原発産業の「雇用創出」「地域振興」といったプラス面を評価し、5期20年の長期政権へと繋げる。高浜、大飯、美浜町でも原子炉の建設が始まり、1993年には嶺南地域で14基目となる大飯原発4号機が稼働する。

やがて福井県は、国から地域振興策を引き出す「政治カード」として、原発の存在を強調するようになる。

嶺南地域選出の議員は、1999年に衆院へ提出した質問趣意書で「福井県、特に若狭の住民は『いつか新幹線が通る』という悲願で生きてきた」「原発銀座を許容するという苦渋の選択を受け入れてきた」として、「小浜ルート」堅持を主張。「米原ルート」を検討する一部の動きを牽制した。

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