「私は180cm・A型、父は160cm・O型、母は140cm・B型」 46歳で「両親との血縁関係なし」知った男性の"今" 14歳で家を飛び出した"違和感"の正体

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そもそもなぜ江蔵さんは、新生児取り違えの被害に遭ったのか。

「母の話では、沐浴の際に取り違えが起きた可能性を疑っていました。当時、看護師が両脇に新生児を抱えていた際、赤ちゃんを支えるため膝を使うなど、扱いが雑に見えたこともあったそうです。母は『その担当者だったのではないか』と推測しているようです」

1958年2月から7月にかけて空欄だった

もちろん当時の母親の認識によるもので、真相は明らかではない。その一方で、実親探しの過程では、当時の記録の所在や開示をめぐり腑に落ちない点が残った。

その一端が、『記念誌 東京都立墨田産院36年の歴史』という記念出版物にある。これは同院の沿革をまとめた資料で、その一項目には毎月の分娩数が記録されている。ただ、江蔵さんが確認したところ、1958年2月から7月にかけての期間、つまり江蔵さんが出生した時期は空欄になっていたという。

墨田産院で働いていた医師の娘と知り合う機会もあった。当時の話を聞きたいと医師に接触を試みたものの、娘からは「父は当時の話は何もしたくはない」と一蹴されたという。

裁判期日後の会見に臨む江蔵さん。撮影日は2024年9月4日(筆者撮影)

ほかにも、テレビ朝日に、匿名の看護師からタレコミが寄せられたこともあった。東京都立大塚病院の地下倉庫に、なぜか墨田産院のカルテが保管されているという内容だった。江蔵さんは都に問い合わせたが、事実関係を否定された。

あくまでも臆測の範疇にとどまるが、核心に近づけば近づこうとするほど、真相からは遠ざけられたような感覚が残った。

佐藤 隼秀 ライター

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さとう はやひで / Hayahide Sato

1995年生まれ。大学卒業後、競馬関係の編集部に勤め、その後フリーランスに。趣味は飲み歩き・競馬・読書

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