「私は180cm・A型、父は160cm・O型、母は140cm・B型」 46歳で「両親との血縁関係なし」知った男性の"今" 14歳で家を飛び出した"違和感"の正体
それから7年後の2004年(当時46歳)、再び事態は動き出す。江蔵さんが体調不良で通院していた際に、担当医に血液型が異なる事実を話すと、知人である大学教授を紹介され、無償でDNA鑑定を受けられる運びとなった。
躊躇する気持ちよりも、真実を知りたい衝動が勝り、江蔵さんは申し出を受けた。親子で血がつながっていないことが確定した瞬間だった。
「教授から『あなたには父と母の血は1滴も流れてない』と、単刀直入に言われたのを覚えています。その場では頭が真っ白になりました。
ただ、時間が経つほどに、実親に会って、出自を確かめたい気持ちが強くなっていきました。もし血のつながった実親に育てられていたら、まったく異なる人生を歩んでいたかもしれない想いが離れず、居ても立っても居られなかった」
どこかにまったく違う人生があったのではないか――。そう江蔵さんが期待するのは、幼少期の家庭環境が関係している。
14歳から始まった一人暮らし
江蔵さんは1958年4月、東京都立墨田産院(現在は閉院)で生を受けた。
都電の運転手を務める父、専業主婦の母、3つ下の弟との4人家族として育ったが、父とは折り合いが悪かった。
「父は家でもっぱらお酒を飲んでおり、わんぱくだった私を年中殴って叱るような人でした。時には鼻が曲がるほど強くやられたこともありましたが、そのくせ弟には優しいんです。正月に親族で集まった際も、よく従兄弟から両親と似ていないことを指摘され、どこか窮屈な想いを抱えていました」
父との軋轢に耐えられず、江蔵さんは家出する形で、14歳で実家を飛び出した。住み込みの焼肉店で生計を立てながら中学を卒業し、それ以降も実家には戻らず、クリーニング店や運送業など職を転々とした。
30代では福岡で自動車販売の会社を立ち上げ、生活は安定したかのように思えたものの、前述の通り2004年に生活は一変した。
「14歳で家を飛び出し、若いうちから働いてまで実家に帰らなかったのは、やはり父と血がつながっていなかったからではないか。どうしてもその考えにたどり着き、自分の本当の親は誰なのか、本当の人生はどこにあるのかと、常に出自にとらわれてきました。
毎日が上の空で仕事も手につかず、実親を探すため頻繁に都内に通っていたこともあり、結局は事業を畳んで都内に越してきました」


















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