学校での「暴力行為」18.2%増で過去最多、なぜ"中1"が最も多いのか…余白を生み出す「支え合い」と「引き算」の視点が必要

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2022年に改訂された文科省『生徒指導提要(改訂版)』でも、問題行動を「直させ」「そろえる」指導から、児童生徒一人ひとりの発達を支える生徒指導への転換が示されています。

しかし、実際の学校現場では、まだまだ細部の(表面上の)統制に多くのエネルギーが割かれているように感じられて仕方ありません。名札の装着やスカートの長さ、列のそろい具合など、確かに集団生活を進めるうえで一定の秩序は必要です。

ただ、子どもの自律性が芽吹くこの時期に、大人が先回りしてすべてを管理・統制しようとすれば、本当に支援が必要なことが余計に見えにくくなるどころか、子どもたちの自律性や自尊心を奪っていってしまいます。

自戒を込めて強調しますが、私たち教職員や保護者をはじめ、子どもたちに関わるすべての人は、この点を強く心に留めておく必要があります。

譲ってはならない一線

一方で、どんな事情があろうとも譲ってはならない一線があります。それは、他者を傷つける行為、つまり暴言や暴力行為それ自体は決して許されないということです。

「支え合うマインド」や「カウンセリングマインド」とは、決して「何をしても許される」「間違った行為に対して、注意や指摘をしない」ということを意味するわけではありません。人の尊厳を踏みにじる言動には、毅然と「その行為は許されない」と指摘されなければなりません。

他害行為をとってしまった子どもたちに対して、大人が機嫌を取ったり、善悪の基準を曖昧にしたりすることは、避けるべきことです。暴言や暴力をその場で制止することはもちろん、「ダメなことはダメだ」と毅然と指摘したうえで、「あなたの存在」や「学び直す機会」は守られるということを伝えることが重要です。

こうした当然で正当な注意や指摘が当たり前に行われる教育の風土を、学校内だけでなく、家庭や地域全体で共有していく必要があります。

さらに、「なぜそうしてしまったのか」「怒りや不満をどう表現すればよかったのか」といった点について、子どもの気持ちに寄り添いながらも、暴言や暴力という行為には決して賛同しない。被害者の痛みを想像させ、反省と回復に向かうプロセスを支えることが、「人と関わりながら学び、成長する」基盤になるのも、また当然のことです。

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