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「なぜ日本は戦争に至ったのか」ーー元日銀副総裁にしてノンフィクション作家・藤原作弥さんが生前語った「他人事ではない悲劇」と幻の作品【後編】

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『満州、少国民の日記』の後、3作目の自伝的ノンフィクションの構想を温めていたところに、思わぬ話が舞い込んでくる。戦前の中国大陸で李香蘭の名で女優・歌手として活躍した山口淑子さん(当時参議院議員、1920〜2014年)から「ぜひ会ってほしい」と言われたのだ。

 

『李香蘭 私の半生』(山口淑子、藤原作弥著)新潮文庫

藤原さん

会わないのも申し訳ないと思って会ったら、「藤原さんの取材力と、満州のことをよく知っている土地勘から、満州娘と言われた私の自伝を書く手伝いをしてほしい」と。気乗りしなかったのですが、話は聞こうと3時間ぐらい聞いたら面白い。「もう一度会ってくださる?」と言われ、次に会ったときも非常にユニークな話ばかり。結果として作品は僕の財産になりました。

山口さんから約30回にわたって話を聞き、裏付けるために取材し、資料にあたり、中国各地を回って『李香蘭 私の半生』を1987年、山口さんとの共著として刊行した。
日本人でありながら中国人として、日本の傀儡国家だった満州国の宣伝を担ったスターの数奇な運命。それはそのまま、満州国の実像と日中戦争の発端から帰結を描いた昭和史である。
幼い彼女が目撃した火の手は、抗日ゲリラ隊が柳条湖事件への報復として満鉄の炭鉱を襲撃した際のものだった。そして敗戦の年、上海の軍事法廷で反逆罪を犯したとして死刑求刑を受ける。
この衝撃的な糾弾シーンから始まるのがミュージカル『李香蘭』だ。1991年に浅利慶太氏の台本・演出で上演されると評判を呼び、再演が重ねられてきた。戦後80年の機となる2025年にも3年ぶりに上演され、初演の4月25日、観客席に藤原さんの姿があった。

バーの女給たちに英語を教えた日々を書きたかった

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