ホンダのF1は再び栄光を取り戻せるのか?

苦戦を強いられるようになった理由

今年、ホンダがパワーユニットを供給しているチームが、その1988年にパートナーだったマクラーレン。それだけに期待は大きかった。しかし、冷静に振り返れば、当時の成功も一夜にして成し遂げられたわけではない。F1に参戦する前にF2選手権でレース活動を再開した。

その後、1983年にF1への参戦を再開するが、最初の数年はトラブルが相次いだ。これはホンダだけでなく、他メーカーも同じである。50年から参戦し続けているフェラーリを除けば、ルノーもメルセデスもF1活動をスタートさせた後、いずれも数年は苦しいシーズンが続いたという過去がある。そう考えれば、ホンダの現状は決して満足できるものではないが、それほど悲観すべきものでないことも確かだ。

ホンダが80年代のような活躍ができず、苦戦を強いられている理由はもうひとつある。それは当時と現在ではレギュレーションがまったく違うことである。

苦戦を強いられるようになった理由

80年代のF1はエンジンに関するレギュレーションは排気量とターボの過給圧、そして使用できる燃料量ぐらいしか制限はなかった。つまり、開発は自由に行えたのである。80年代のホンダのF1活動にはこんなエピソードがある。それは85年のことだ。シーズン序盤まで不調が続いていたホンダは、密かに製造していたコンセプトがまったく異なる新設計のエンジンをシーズン中盤に投入する決断を下す。それは当時、エンジンの開発リーダーだった市田勝已が後日、次のように述懐したほど、大胆な決断だった。

「だって、エンジンの開発計画は年間で決まっていて、今後の開発用のエンジンもすでに何基も作られていたのに、それを全部捨てて、突然新しいエンジンを作り出したんだから……」

当時、F1のエンジンは1基、約3000万円だったという。大金を捨ててまで、ホンダは勝ちにいったわけだ。

しかし、現在のF1は開幕前にパワーユニットがホモロゲーション(認証)され、安全性以外の部分で改良するには決められた数のトークンの範囲内でしか行えない仕組みとなっている。したがって、不調だからといって、パワーユニットを当時のように新しい設計に作り変えることは現在は不可能となっている。

さらに当時と今で決定的に異なるものが、もうひとつある。それはパートナーを組んでいるマクラーレンというチームそのものの力だ。かつてのマクラーレンはホンダとパートナーを組む前にも、毎年のようにタイトル争いを繰り広げていたほどのトップチームだった。だが、いまのマクラーレンは最後にタイトルを獲得したのが2008年で、勝利もここ2年間遠ざかり、いわば低迷期にある。

つまり、いま見ているマクラーレン・ホンダは、私たちが知っているかつての常勝軍団ではない。したがって、過去の栄光を彼らに期待すること自体、酷なのである。だからといって、ホンダに勝つ見込みがないと言っているのではない。先人たちが築き上げた道をたどるのではなく、自分たちで開拓していけばいい。80年代の栄光もそうやって勝ち取ったものだ。

新しいホンダが作る歴史がとんなものになるか、楽しみにしたい。

尾張正博(おわり まさひろ)/F1ジャーナリスト。1964年、宮城県生まれ。93年からF1の取材を開始。現場での綿密な取材をベースに、さまざまなメディアで活躍。著書に『トヨタF1、最後の一年』(二玄社)、『F1最強「事情通」読本』(東邦出版)など

 

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