語学を生かし、洋楽からドラマ・映画やエンタメ業界を駆け抜けた前田浩子プロデューサーに聞く半生と日台合作映画の舞台裏

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日台合作映画『青春18×2 ~君へと続く道』のワンシーン
日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』のワンシーン。「新聞記者」「余命10年」の藤井道人が監督・脚本を手がけた日台合作のラブストーリーだ(写真:「青春 18×2 君へと続く道」 Blu-ray&DVD発売中/Netflixにて配信中(C)2024「青春 18×2」film partners)
初恋の記憶をめぐり日本と台湾を舞台にしたラブストーリーで、日台合作映画としては異例の成功を収めた『青春18×2 君へと続く道』。この映画を企画・プロデュースしたのが映像企画・製作会社、株式会社アルケミー・プロダクションズの前田浩子・代表取締役だ。
前田氏は大学在学中から語学力を生かし、マドンナ、ローリング・ストーンズ、マイケル・ジャクソンなどの外国人アーティストのコンサート、音楽番組制作に携わってきた。その後、映画・TVドラマ・PV・CMに活動の場を移し、ハリウッドの関係者とも交流をもつ。12月13日からは前田氏が所属するコンテンツスタジオ「BABEL LABEL」の特集上映が都内で始まる。前田氏にこれまでのキャリアやその裏話、日台合作映画の舞台裏について聞いた。

――語学が原点だとか。どんな子ども時代でしたか?

鹿児島生まれの長女で、小さい頃はとても体が弱かったです。両親が心配して、あまり外に出ずに育ちました。そんな私を映画館に連れ出してくれたのが祖母でした。5歳のときに初めて観た映画がフランス映画『禁じられた遊び』で、字幕もまだ読めないのに映像の力に圧倒されて、ラストシーンは今でも鮮明に覚えています。

そのうち夢中になったのが、アメリカ映画。特にミュージカル映画『雨に唄えば』を観て、「雨が降って嫌な日でも、アメリカ人は笑って踊りながら歩いている!」と興奮し、映画の中の人たちが何を言っているのか知りたくなり、気に入った英語のセリフをノートに書き写したりしていました。

NHKラジオ英会話が語学の「先生」だった

――ほとんど独学だったんですね。

NHKラジオ英会話が“先生”でした(笑)。録音放送を何度も聴いていたら、ある日ふいに音が言葉として耳に飛び込んできた瞬間の感動は今でも忘れません。中学1年生の終わり頃には日常会話が聞き取れるようになって、高校では英語でシェイクスピアも読みました。

このことを知っている朝ドラの俳優部のマネージャーさんから「今度の朝ドラは浩子さんの話ですよ!」と連絡がありました。その作品がNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』。劇中に東後勝明先生の声が流れてきて、懐かしさに胸が熱くなりました。ドラマの主人公と同じく、ラジオ英会話は私にとってもまさに“青春そのもの”でしたね。

――映画好きで英語も上達する中、ご家族の反応はどうでしたか?

前田浩子
まえだ・こうこ 映像企画・製作会社、株式会社アルケミー・プロダクションズ代表取締役、プロデューサー 。大学在学中より語学力を活かし、マドンナ、ローリングストーンズ、マイケル・ジャクソンなど外国人アーティストのコンサート、音楽番組制作に携わった後、映画・TVドラマ・PV・CMに活動の場を移す。1997年映画『スワロウテイル』(岩井俊二監督・脚本)で映画プロデューサー・デビューし、話題作を作り続けながら、海外へも活動の場を広げ、『キル・ビル』(クエンティン・タランティーノ)『2046』(ウォン・カーウァイ)などを手がける。2020年公開の映画『宇宙でいちばんあかるい屋根』での藤井道人監督との出会いを切っ掛けに2022年からBABEL LABELにプロデューサーとして所属。第一弾として、台湾との合作映画『青春18×2 君へと続く道』を企画・プロデュースし、BABEL ASIAと釘打って、海外での公開に挑戦する。結果、アジア10カ国にて、公開し、27億の興行収入を記録し、成功を収める(筆者撮影)

出来れば留学もしたかったのですが、保守的な家庭な上に長女だったことで期待も責任も重くて(笑)。でも、映画の脚本家になりたくて、学生時代は映画がタダで観られるという理由だけで映画館でバイトしていました。

そのころ一番衝撃を受けたのは『市民ケーン』でしたが、『メリー・ポピンズ』のような映画も大好きで、「私、将来はバート(ディック・ヴァン・ダイク)と結婚するのかも……」と妄想して、英語でロマンチックなセリフを言う練習をしたり、夢を膨らませたりしましたね(笑)。

――映画、恋、英語がリンクしていった延長には?

ニューヨークに行きました。何度も通っているうちに、自然と友達もできて、たくさんのめぐり合いもあって、マドンナやローリング・ストーンズの興行に関わるようになっていきました。

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