語学を生かし、洋楽からドラマ・映画やエンタメ業界を駆け抜けた前田浩子プロデューサーに聞く半生と日台合作映画の舞台裏
――語学が原点だとか。どんな子ども時代でしたか?
鹿児島生まれの長女で、小さい頃はとても体が弱かったです。両親が心配して、あまり外に出ずに育ちました。そんな私を映画館に連れ出してくれたのが祖母でした。5歳のときに初めて観た映画がフランス映画『禁じられた遊び』で、字幕もまだ読めないのに映像の力に圧倒されて、ラストシーンは今でも鮮明に覚えています。
そのうち夢中になったのが、アメリカ映画。特にミュージカル映画『雨に唄えば』を観て、「雨が降って嫌な日でも、アメリカ人は笑って踊りながら歩いている!」と興奮し、映画の中の人たちが何を言っているのか知りたくなり、気に入った英語のセリフをノートに書き写したりしていました。
NHKラジオ英会話が語学の「先生」だった
――ほとんど独学だったんですね。
NHKラジオ英会話が“先生”でした(笑)。録音放送を何度も聴いていたら、ある日ふいに音が言葉として耳に飛び込んできた瞬間の感動は今でも忘れません。中学1年生の終わり頃には日常会話が聞き取れるようになって、高校では英語でシェイクスピアも読みました。
このことを知っている朝ドラの俳優部のマネージャーさんから「今度の朝ドラは浩子さんの話ですよ!」と連絡がありました。その作品がNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』。劇中に東後勝明先生の声が流れてきて、懐かしさに胸が熱くなりました。ドラマの主人公と同じく、ラジオ英会話は私にとってもまさに“青春そのもの”でしたね。
――映画好きで英語も上達する中、ご家族の反応はどうでしたか?
出来れば留学もしたかったのですが、保守的な家庭な上に長女だったことで期待も責任も重くて(笑)。でも、映画の脚本家になりたくて、学生時代は映画がタダで観られるという理由だけで映画館でバイトしていました。
そのころ一番衝撃を受けたのは『市民ケーン』でしたが、『メリー・ポピンズ』のような映画も大好きで、「私、将来はバート(ディック・ヴァン・ダイク)と結婚するのかも……」と妄想して、英語でロマンチックなセリフを言う練習をしたり、夢を膨らませたりしましたね(笑)。
――映画、恋、英語がリンクしていった延長には?
ニューヨークに行きました。何度も通っているうちに、自然と友達もできて、たくさんのめぐり合いもあって、マドンナやローリング・ストーンズの興行に関わるようになっていきました。



















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