語学を生かし、洋楽からドラマ・映画やエンタメ業界を駆け抜けた前田浩子プロデューサーに聞く半生と日台合作映画の舞台裏

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『恋人たちの食卓』も大好きで、どちらにも出演していたラン・シャン(郎雄)が本当にすばらしかった。彼には小津安二郎作品の常連だった笠智衆に通じる、慈愛と知性、品格があると思います。その他の台湾映画では『藍色夏恋』も忘れられませんね。

私の人生を振り返ってみると、偶然が積み重なってここまで来たと感じますが、チャン・チェン(張震)とのご縁もそうですね。最初に観たのはもちろん『クーリンチェ少年殺人事件』(エドワード・ヤン監督/1991年)でした。当時の彼は、撮影現場に俳優のお父さん(張國柱)に付いて遊びに来た“普通の子ども”だったそうです。

最初は、「この子は集中力もないし無理だよ」とヤン監督も言っていたぐらいなのに、とんでもない個性と才能にあふれていたのは周知の事実ですね。時が経って、『青春18×2 君へと続く道』の制作で台湾の事務所を訪れたとき、壁に貼られていたのが『クーリンチェ少年殺人事件』のオリジナルポスターでした。少年チャン・チェンの瞳の力に思わずゾワッと鳥肌が立ちました。実は、チャン・チェンとはその前にも『2046』(ウォン・カーワイ監督/2004)や『シルク』(スー・チャオピン監督/2006)でご一緒していて、不思議なご縁でつながっています。

台湾側から日本人監督のオファーがきた

――『青春18×2 君へと続く道』は、どのように制作が立ちあがったのでしょう。

“原作”は小説ではなく旅のブログです。台湾の男の子が日本を「青春18きっぷ」で旅したときに書いた日記のような文章で、それがSNSで静かに共感を呼び、台湾の映画の企画として浮上したものです。

当初は台湾側で監督を立てていたのですが、作品の方向性がなかなか定まりませんでした。そのような時、台湾側から「藤井道人監督にお願いしたい」と声がかかりました。

藤井監督は、お祖父様が台湾出身ということもあり、デビュー当初からずっと台湾に深い興味を持っていました。無名の頃から自腹で何度も台湾に渡り、現地の制作会社を回って自分の作品をまとめた“ビデオポートフォリオ”を見せていたのです。そのひとつが、チャン・チェンさんの会社でした。

今でこそ『余命10年』『正体』などの成功で人気監督になりましたが、当時の藤井監督は誰も知らなかった。でも『新聞記者』で日本アカデミー賞を受賞して一気に脚光を浴び、そのタイミングで、再び台湾と繋がったのです。藤井監督自身、「いつか台湾で映画を撮りたい」とずっと言っていたので、まさに夢が形になった企画でした。

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