語学を生かし、洋楽からドラマ・映画やエンタメ業界を駆け抜けた前田浩子プロデューサーに聞く半生と日台合作映画の舞台裏
レコード会社でもアルバイトをして、ライナーノーツを書いたり歌詞を訳したりしていました。そのうち来日アーティストの通訳を任されるようになり、キョードー東京などコンサート興行の会社や、主催のフジテレビやTBS、テレビ朝日の事業部とネットワークが広がっていきました。
マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、マドンナなど大スターが次々と来日して、洋楽が最も勢いのある時代でした。そんな中、なぜか私がマドンナの担当になりました。というのも、彼女があまりに強烈な個性で対応が難しいかもとなった中、「前田ならいけるかも?」と白羽の矢が立ったわけです(笑)。
歌手の恋人を迎えに行ったらジョージ・ルーカスだった
音楽番組の司会や通訳の仕事も増え、映画監督たちとも交流が生まれました。リンダ・ロンシュタットの来日の際には、「恋人を迎えに行くから付き合って」と言われて成田空港へ行ったら、出てきたのがなんとジョージ・ルーカス。その後、ロサンゼルスを訪れた時にはルーカスのご自宅にもお邪魔しました。あの頃は、夢のような出会いの連続でしたね。
――その中で、テレビ局からドラマの世界へお誘いがあったのですか?
そうです。「映画好きならこっちに来ない?」と声をかけられて。日本もちょっと退屈だなと思っていた頃、テレビ局内で「前田さん、アメリカにネットワークがあるらしいよ」と噂になり、そこからドラマ部に紹介されました。
ある日、ドラマ部の方から「新春ドラマをニューヨークで撮りたい。主演はハリソン・フォードでいきたい」と相談されました。メールもない時代でロサンゼルスの事務所に電話したら、パトリシアさんという女性が対応してくれました。今思えば、若気の至りというか、怖いもの知らずでしたね。
唐突に連絡した私の話を真剣に聞いてくれて、企画書を英訳してFAXで送ってと言われ、数日後に返事が来ました。「面白い企画ですが、ハリソンはその時期、映画の撮影に入っています」と。その作品が『逃亡者』で結局彼の出演は叶いませんでしたが、その後、毎年クリスマスカードが届くようになりました。
あとで知ったことですが、パトリシアさんは「世界に影響を与えるハリウッドの女性トップ10」にも入るほどの方でした。どこの誰ともわからない私にも丁寧に対応してくれ、これがまさにプロフェッショナルだなと感激し、「私もこうありたい」と思いました。
その後、ロバート・デ・ニーロやダスティン・ホフマンなど身のほど知らずにもほどがある案が出続けました(笑)。最終的に『刑事コロンボ』で日本でも知られていたピーター・フォークに決まりました。日本ではコロンボのとぼけたイメージでしたが、映画では鋭くシリアスな役も多く、新たな面を出せたらと提案し、最終的に彼に決まり、フジテレビの新春ドラマ『人間の証明』をニューヨークで撮影しました。



















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