「高市さんなりのユーモアでしょ」「首相の発言として軽すぎる」と波紋…高市早苗首相の《マウント取れる服》投稿が嫌悪される"真因"
たとえばミシェル・オバマ氏は、公人としての装いの意味と選択のプロセスを振り返ったビジュアル回顧録『The Look』で、「服はその日の目的を伝えるために選んできた」と語る。
外交では相手国文化への敬意を、教育現場では親しみやすさを、人権関連の場では多様性への姿勢を──服がそのまま「どんな思いでその場所に立っているか」を伝える媒体だった。
彼女の装いの背後にはスタイリストや文化顧問が入り、場面ごとにふさわしい選択を綿密に検討する仕組みがあった。
英国初の女性首相マーガレット・サッチャー氏も、ネイビーのスーツやパールのイヤリングを「誰かの優位に立つため」ではなく、「国家の重責を担う者としての安定感」を示すために用いていた。
周囲からは「もっと現代的で華やかな服装にしたほうがいい」と助言された時期もあったが、彼女は応じず、自分が首相としてどう見えるべきかという“姿勢の一貫性”を優先し、堅実なスタイルを選び続けた。
サッチャー氏の強さを象徴する “handbagging” という造語の由来となる彼女の行動も、上下関係を示すためのものではない。
サッチャー氏は常に黒いハンドバッグを携えており、その強い追及や妥協のない姿勢がこのイメージと結びついたことで、後に“handbagging”という言葉が「厳しく詰め寄る」という意味の政治用語として定着した。
ここで重要なのは、彼女が一貫して示していたのは、服や持ち物を使って優位性を誇示する態度ではなく、自分が何を背負い、どんな姿勢で職務に臨むのかというリーダーとしてのスタンスであった。
言葉の選び方1つで意味が変わる
高市首相の投稿も、本来は“優劣の誇示”ではなく、「公的立場として装いをどう語るべきか」という思考の延長にあった可能性がある。ただ、その意図を運ぶ言葉が必ずしも最適ではなかった。
今回の出来事が示したのは、わずかなワードチョイスのズレが意図とは別の解釈を生み、議論の焦点を大きく変えてしまうという、政治家ならではの“言葉の難しさ”である。
外交では装いが「その国をどう背負って臨んでいるか」を示し、国内では「日々どのような姿勢で役割に向き合っているか」を静かに伝える。政治家の言葉は、本人の意図より先に独り歩きし、社会の側で別の意味へと変わっていく。
その現実を前提に、どの言葉がどんな方向に読み取られるのかを見極めること──それが、これからのリーダーに求められる慎重さである。
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