塾なしで東大合格、経験者が語る「絶対にしない」4つの習慣とは? 成績が伸び悩むなら「やめてみる」価値あり、勉強版"四毒抜き"

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暗記だけする日もあれば、復習だけやる日もある。理解が曖昧なところの整理に集中してみる日もあったし、「勉強法の本を読む」「ノートの取り方を研究する」「自分なりの復習サイクルを作る」など、“勉強の勉強”に30分を全部使った日もあります。

すると、中学生でも分かるほど明確に、やり方によって定着度が全く違うという事実が見えてきたんですね。この時期はあくまでやり方の研究に全振りしていた時期です。こうした経験が、その後の学習方法の基盤となっていきました。

一方で、これとはまったく別の時期に、私は1日11時間ひたすら国語(読解)だけをやる生活を4カ月間続けたことがあります。

倉田百三の『愛と認識との出発』、大学レベルの教科書、哲学書、日本史の論文……とにかく「読めない文章」ばかりを読み続けました。「国語を勉強する」という単純な話ではなく、これは頭の“エンジンそのものを組み替える作業”でした。

短期で成果を求めていたら、絶対にできないような学び方です。でも私は、「頭の使い方を抜本的に変える」ための時間だと割り切っていたから、続けられた。

30分未満勉強法は“勉強法を知るための実験”。11時間国語生活は“頭のエンジンを作り替えるための鍛錬”。どちらも、短期の点数だけを追いかけていたら絶対にできなかったことです。

こういう経験を経て、「時間を増やす前に、そもそも勉強の設計を変えた方が早い」という感覚が、私の中で強く残りました。勉強時間をやみくもに増やしていっても、あるところで必ず頭打ちが来る。でも一度、“頭の使い方”や“読み解く基盤”が変わると、その後に積み上げる1時間、2時間、3時間の意味がまるで変わってくる。

短期的には時間を増やす方が“やっている感”は出るかもしれない。でも本当に伸びるのは、勉強の勉強に時間を投資できる人です。30分ルールで学んでいた私は、そのことを中学生の頃に実感することができました。

実は「やってる感」だけ【毒3:板書を写すだけの勉強】

「板書を写すこと」は勉強ではありません。

以前、塾に通っていない東大生と座談会をしたことがあるのですが、そのとき印象的だったのが、誰一人として黒板の板書をノートに写していなかったことでした。(当時の記事はこちら)

多くの場合、板書を写す行為は「考えなくてもできてしまう作業」。そもそも板書の内容の多くは、教科書やプリントにすでに載っている。だとすれば、ノートの本当の役割は「独自の情報や気づきを、あとから思い出せるようにすること」のはずです。

東大生のノートを見ていると、大きく2パターンに分かれます。1つは、私のように「ほぼノートを取らない派」。ノートを書いていると先生の話が頭に入らなくなるので、ノート提出が義務の授業以外は一切書かず、その場で理解を完結させることだけに集中しているタイプです。

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