「寂しさはまったくない」82歳《最後の村人》が"理想郷"で1人暮らしするワケ…文豪・武者小路実篤がつくった村で送る「孤独でも豊かな生活」

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実篤は「自分も生き、他人も生きる世界をつくりたいというだけの話である。もっとつめて云えば、『自他共生である』」と記している。つまり、誰もが幸福に生きられる共同体を目指したということだ。

そして、自他共生に必要なものとして、「肉体的な生命を保つこと」と「健全な食、衣、住」を挙げ、そのために村の住人が協力して働くことを求めた。

新しき村は、ダム建設の影響で1939年に本拠地を埼玉県毛呂山町(もろやままち)に移し、宮崎のほうは「日向新しき村」として残った。

新しき村を開設した作家の武者小路実篤(日向新しき村の記念館にあった肖像写真を撮影)

移住して半世紀、残る村人は実質一人のみ

北海道函館市に生まれた松田さんは、両親が他界し、17歳で上京。働きながら定時制高校で学んだ。その後、社会科の教員資格を取得するなどしたが、自分が知らない農山漁村での暮らしに憧れる気持ちがあったという。

そんな中、本屋で偶然手にした実篤の著書に感銘を受け、25歳で埼玉の新しき村を訪ねた。33歳で宮崎の村に移住し、以来、自給自足に近い暮らしを続けている。

始めてから50年が経つという有機農業について、松田さんは「自然の摂理を尊び、学び、実践するという勇気がいる」と話す。

ともに暮らした妻はすでに亡くなり、現在、実篤の理念に基づいて生活するのは実質的に、松田さんひとりだという。埼玉の村も残る村民は数人で、高齢化が進み、存続が危うい状況になっている。

閉鎖的な宗教団体のようなイメージがあるかもしれないが、厳格な戒律はなく、生活上の決まりもない。外部の住民を熱心に勧誘することもない。

松田さんはスーパーに買い物に行くこともあれば、ガソリンスタンドで燃料を買うこともある。スマホでLINEも使う。近隣の住民との交流もあり、頼まれごとがあれば駆けつける。

現在の日向新しき村の風景。中央奥に見えるのは「武者小路実篤記念館」で、実篤にまつわる書や絵画などが展示されている(2025年5月2日、宮崎県木城町で、弁護士ドットコムニュース撮影)
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