さらに言えば、これが卒業後に大企業や官庁に就職する際の評価基準になっているのではないか。筆者は「日本における大学の価値はこのようなものではないか」と昔から考えていたのだが、それがTHEのプレステージによるランキングによって見事に表わされているように思う。
つまり、日本の大学は「そこで学んだ内容が重要である」というよりは、「入試が難しいため、そこに入学すること自体に価値がある」と見なされていることになる。
このように解釈すると、さまざまなことがよく理解できる。 日本企業に改革への意欲が乏しいことも、受験競争がいつになっても収まらないことも、つじつまが合うのだ。
「デジタル敗戦」から脱却できない日本の問題点
いうまでもなく、大学における研究・教育はその国の経済力に大きな影響を与える。日本とイギリスは、総人口ではあまり大きな差はないが、世界トップクラス大学の数には大きな差がある。
そしてこれは、イギリスが製造業を脱して、高度な金融業などの新しい産業で高い生産性を上げていることと深い関係がある。アメリカで高度な情報通信産業が発展し、高い生産性を誇るのも、トップクラスの大学が多いからだ。
それに対して、日本は「デジタル敗戦」といわれる状態から脱却できない。これは新しい分野での人材が十分に養成されていないことによるものだが、そうなる原因は日本の企業が学業成績ではなく、大学のプレステージによって採用を決めているからではないだろうか。
そのため、企業の構成員は自分の会社を新しい経済に向けて変革する意欲が乏しい。かつてはそれでもよかったのだが、変化のスピードが速くなった現代では対応できない。これが日本の立ち遅れを引き起こした基本的要因だ。
対して、アメリカもイギリスも新しい産業構造に転換してきた。そして、経済を牽引する産業もいまや製造業ではない。イギリスでは高度な金融産業が、アメリカではITなどの情報産業が、著しい伸びを示している。これらが新しい経済活動を生んでいるのだ。
日本が「プレステージで評価する国」から「実質を評価する国」へと転換できるかどうか――。それこそが教育改革の核心であり、産業構造転換の成否を左右する最大の課題だ。
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