古都の名物「よもぎ餅」、"高速餅つき"で作り続けて30年以上。《社長が語る半生》挫折の先に見つけた一生の仕事、守り続ける母の味
事業化を決意した当時29歳だった中谷さんは、1992年に「奈良で一番の繁華街でやりたい」と考え、奈良駅からほど近い現在の場所に中谷堂をオープンした。当時の賃貸料は月50万円と高額だったが、銀行融資や父親からの資金援助を受け開業に漕ぎ着けた。
しかし、開店後の道のりは甘くなかった。村で見た成功イメージが強かったため、「当然客が集まるだろう」と考えていたが、現実は違った。
当時はインバウンド客もはるかに少なく、まったく思い通りにならなかった。売り上げは毎月の支出をぎりぎり賄えるくらい。苦しい日々が続いた。

厳しい状況下ではあったが、中谷さんは行動を起こした。なんとテレビ東京系列の競技型バラエティ番組「TVチャンピオン」の「全国もちつき王選手権」に出場し、2005年と2006年に連続優勝を果たしたのだ。
この優勝で売り上げが急激に伸びたわけではなかったが、「一つの自信になったね。よりお餅を作ることに熱心になったと思う」と語る。
創業から5年が経過し、売り上げが徐々に伸び始めた頃、老舗の和菓子職人が週に一度「あんたの餅、食べたなんねん(=食べたくなる)」と言って買いに来るようになった。
メディアでの露出以上に、この老舗職人からの評価が、中谷さんにとって自身の技術と品質が本物であるという確信を得る大きな喜びとなった。
コロナ禍を乗り越え…地域に根差した経営術
創業初期以外に経営に大きな悩みはなかったという中谷さんだが、コロナ禍では状況が一変した。2020年春には客足がピタッと途絶えたという。
しかし、中谷堂は休業せず、助成金も受けずに乗り切った。その背景には、地元の客による支えがあった。これは、中谷さんがこの見知らぬ土地である奈良の繁華街で、日頃から築き上げてきた住民との信頼関係が生きた結果だろう。
中谷さんはこの町で商売を始めてから、商店街の理事会や組合に自ら出向き、積極的に挨拶回りを行った。祭りの手伝いなど地域活動に熱心に参加し、今ではリーダー的な役割を任されているという。
「ほんまに仲良くなる人がいっぱい増えたからね。どうやって仲良くなるかって? 頑張ることです。熱心にやっていたら、頼られたりしますから」
商店街の飲食店を営む仲間からは、「中谷堂のお餅を食べに来た客が、うちの店にも来てくれた」と言われることもあった。にぎわいの輪が、少しずつ商店街全体に広がっていた。
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