排外主義の背景にあるもの
2024(令和6)年6月現在、日本における在留外国人は358万8956人で、前年から5.2%増加し、過去最高を更新した※1。公立学校に在籍する外国人児童生徒数も10年間で6.2万人増え、2024年では13万8714人と増え続けている※2。こうした中、最近では世の中の社会問題の原因を外国人に押し付ける風潮もある。

朴氏によると、このような風潮は今に始まったことではない。
「最近の日本国内では社会格差や労働問題、物価高による貧困などが問題になっています。そのような状況の中、インターネットの記事やSNS上では『外国人』という大雑把な表現であれこれ噂されます。日本の不動産を買い占めたり、生活保護など社会保障においてあたかも優遇されていたりなど……。すると自分たちの生活が苦しい、うまくいかないのは、外国人がいるせいではないかという被害者意識が生まれ、最近ではより攻撃的な形で発信されているように感じます」(朴氏、以下同様)
朴氏自身も大阪で生まれ育った在日コリアン3世だが、高校を卒業するまでは日本風の通称名を名乗り、自身が朝鮮半島にルーツがある外国人であることをひた隠しにしてきた。その背景には在日コリアンが自身のアイデンティティを明かすことで日本人から排除、差別されることを見聞きし、それが怖いという理由があったそうだ。
当時、在日外国人の圧倒的多数は、韓国・朝鮮籍の人たち。周囲の在日コリアンも国籍やルーツを隠している人がほとんどで、朴氏も家族にすら自身のルーツについて聞ける雰囲気ではなかったという。自分たちがなぜ日本にいるのかという歴史を知らず、自分の祖父母の言葉や文化を学ぶ機会もなく悩んでいたが、通っていた公立高校の担任の先生から背中を押されたこともあり、大学では朝鮮語を専攻。そこで人生を変えるような転機が訪れる。
※2 文部科学省 「学校基本統計」より
「差別に負けないで」ある中学校の先生が教えてくれたこと
「大学4年のとき、声をかけられて大阪のある公立中学校の課外活動で民族講師をしていた際に、日本人の教員が在日コリアンの生徒に『差別に負けない人になってほしい。自分を大事にして将来の道を拓いてほしい』と伝えていたのです。
日本人がそのように在日コリアンの子どもたちに呼びかけ励ましていることに感動したのと同時に、民族差別から逃げてはいけないし、これは日本社会の問題であると声を上げて主張していいのだということに気づきました」
そこから朴氏が民族差別撤廃運動に積極的に関わるようになり、また女性差別をなくす活動にも関わる中で、すべての人が生まれながらにして人間らしく尊厳を持って生きる権利、つまり「人権」があることを学んだ。とりわけ国際社会で共通に理解されている人権(国際人権基準)を知ったことは大きい。
国際人権基準を実現するための核となるのは人権条約だが、日本が締結した人権条約は、内外人平等の原則(国内に居住する外国人に対しても、日本人と同様の権利や待遇を保障すべきというもの)に立っており、自分が日本社会にいていい存在なのだと確信できたという。
人権は「思いやり、優しさ」ではなく法律で守られる権利
では、「人権」とはなんだろうか。よく耳にする言葉ではあるが、日本では例えば「怪我をして困っている人がいたら、声をかけて助けてあげよう」というように「人権=思いやり、優しさ」と道徳的に理解されることが多い。
しかし、世界人権宣言によるとその第一条に「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と記されている。
ヒューライツ大阪は国際人権基準を普及する活動をしている団体であるが、学校での講演や教員の研修に携わってきた朴氏はこう話す。

(一財)アジア・太平洋人権情報センター(愛称 ヒューライツ大阪)設立時(1994年)からの職員で、現在は事務局長。大阪で生まれ育ったコリアン3世、韓国籍。大阪外国語大学(現、大阪大学)外国語学部朝鮮語学科卒業後、民族差別をなくすための地域活動に参加した。共著として『マイノリティ・ライツ:国際基準の形成と日本の課題』(現代人文社)、『在日コリアンを知るQ&A:多文化共生への55のヒント』(解放出版社)など。最近は、在日コリアン女性をはじめマイノリティ女性の複合差別の問題に関心を持ち、調査研究や社会活動にかかわっている
(写真:本人提供)
「人権は思いやり、優しさで成り立っているものではなく権利であり、権利を守るためには法律が必要。人間は一人ひとりが人種、性別、国籍、民族、宗教などの違いにかかわりなく、尊く大切な存在です。
それを知らなければ、自分が差別されたとしても人権を守られていないのだと気づくことすらできません。すべての子どもが、幼少の頃から人権についてしっかりと学んで理解する必要があります。人権は決して、わがままで自分勝手な人を生み出すものではないのです」(関連記事)
つまり、誰もが持つ人権は権利であり、法律で守られているということだ。そうはいっても子どもに人権について教えることは非常に難しい。
「世界人権宣言は、自分が持っている人権を知るための基本の文書です。でもその内容を子どもに話すだけでは、なかなか自分のものにならないと思います。例えば『あなたは人権を持つ大切で尊い存在。それと同じように隣にいる人も人権を持つ大切で尊い存在。
もし嫌いな人であれば無理に付き合う必要はないけれど、その人を排除したり、差別したりするのは人権侵害』というようなメッセージもあわせて伝えるのはどうでしょうか。人権の基本的な考え方、そして人として享有できる具体的な権利を知ることは、外国にルーツがある人とともに過ごしていく中でも重要だと考えています」
クラスで差別発言が出てきてしまったら……
では、もしクラスに外国ルーツの子どもがいた場合、教員はどのように接するのがよいのか。朴氏によると特別な配慮をしなければならないと身構える必要はないという。
「子どもによっては言葉の壁などが立ちはだかることもあると思います。自分の文化がクラスのほかのみんなと違うことで、疎外感を覚える子どもがいるかもしれません。この先生になら自分の困りごとを相談できる、という信頼関係を生徒や保護者と築くことは何よりも大切でしょう。また、早いスピードで日本社会が変化しています。在日外国人の現状やその人たちを取り巻く環境もどんどん変わっているので情報のアップデートがつねに必要ですね」
ただ、教員がいくら注意を払っていても、子どもたち同士でトラブルを起こすこともある。例えば日本人の子どもが在日外国人の子どもに「外国人は出て行け」など差別的な発言をすることもありえる。
「子どもは悪気なく差別的な言葉を発することがあると思います。そのときは、なぜそのようなことを言ったのか、言葉の背景やその子の考えをきちんと把握し、教員間で共有することがまず大事です。次にどのような社会であれば、クラスのみんなが幸せに暮らせるのか考える時間を持つきっかけにしてほしいですね。
言われた子どもが傷ついているようであれば、その悔しさ、悲しさに寄り添ってあげてください。周りの子どもたちに願うのは共感する力が育つことです。そういうプロセスが多文化共生を育む豊かな教育につながるでしょう。そうして、すべての人の人権が守られるよう、日本社会をよい方向に変える力になってほしい。変わらなければいけないのはマジョリティ側です」
保護者が日本語をあまり理解できない外国ルーツの子どもを受け持つ先生方に、もう1点、朴氏が伝えたいのは、「子どもを通訳にせず、自治体のサポートなどを活用して通訳者を立ててほしい」ということだ。
「家族間であっても伝えづらいことはありますし、家族だからこその葛藤もあるかもしれません。子どもに通訳をさせるのではなく、第三者にお願いするようにしていただきたいです。地域で外国人住民の支援をしているスタッフが強調していました。複数の当事者から子どものときに大変な負担だったと言う声も聞きました」
例えば自分が子どもだったとして、教員が自身の成績の低下について話しているのを保護者に向けて訳すのは、心理的負担になってしまう。もしくは、逆に保護者が自分の家での様子を伝える内容を訳すことも、思春期だと気恥ずかしい。お互いの伝えたいことが正確に伝わるためにも、通訳を依頼したほうが理想的だろう。
同じ社会を生きて、社会をつくる隣人として
朴氏は、「外国人」と「日本人」の二分法で考えることを留保すべき、と指摘する。
「外国人とひとくくりに言うには、今や在日外国人はあまりにも多様です。日本の国籍法はかなり厳格な“父母両系血統主義”なので、例えば、数世代住み続けても外国人同士の親から生まれた場合、出生と同時に日本国籍を取得できるわけではありません。そして第二次世界大戦後の在日外国人は、それまで日本の植民地であった朝鮮半島からの人たちが圧倒的多数であったという歴史から出発しています。また、これまでの在日外国人の人数の推移は、日本の経済や社会の要請に基づいた政策と直結します。
歴史や政策を含めたさまざまな視点からの学びは、在日外国人に対するイメージと理解に厚みを生むはずです。さらに両親のいずれかが日本人などミックスルーツの人は、日本国籍とほかの国籍を持つ複数国籍の人である場合もあります※3。海外にルーツがあるが、帰化などによって日本国籍を取得した人たちも相当数に上ります。そもそも誰がどんな場合に日本の国籍を取得するのかは法律が変われば変わるものなのです。外国人と日本人の境界はグラデーションで考える必要があるでしょう」
日本人は日本にいる海外ルーツの人を、「助けてあげないといけない人」「支えてあげないといけない人」など、弱い立場の存在として捉えがちだ。
「言葉も文化も異なる異国の地に来て人生を切り開こうと挑戦している人はパワーと進取の精神に満ちた人です。日本の事情についてわからないことを教えることは必要ですが、『してあげるだけ』という視点を変えて、相互に学ぶべきことがたくさんあると思うのです。
はじめに述べたように外国人に対する不寛容な空気が社会に流れていますが、外国人がこのように急激に増えているのは、この社会が働き手を必要としていることが一番の理由でしょう。外国人が同じ社会に生きて、ともに社会をつくる隣人だと認識することが当たり前になる教育が行われることを期待します。人権の視点を持った多文化共生の社会の実現に向けての教育です」
教育を通して、誰もが持つ人権や異なるルーツの人とともに生きることについて子どもたちが理解すれば、この先、誰もが尊厳を持って生きられる社会に一歩近づくだろう。
(文:酒井明子、注記のない写真:buritora / PIXTA)