「リスクのある手術か、投薬か」人生の“究極の選択”で重視すべきこととは?《ノーベル賞受賞者》が考案した「決断」の賢い方法
とはいえ、半々の確率でシナリオBの可能性もある。シナリオBなら、さしあたり投薬ですむ。薬で安定した状態を2、3日保ち、その間に詳しい検査や経過観察を行うのだ。ただし、実際の原因がAだった場合、投薬だけでは間違いなく死ぬ。
この時点で、研修医たちはあなたの意識が戻っていることに気づく。そして、どう治療を進めてほしいかとあなたに尋ねてきた。
「私に決められるわけがないでしょう!」とあなたは言い放つ。「私にはこうしていることしかできないんですから。とにかく助けてください」
「最新の情報を得る」ために一番重要なこと
研修医のふたりは少し話し合うと、2種類の決断方法を提示した。ひとつは、あなたが民主主義の信奉者であることを見込んで、民主的なアプローチの提案だった。要は、町じゅうの人たち――駐車監視員から町議会議員まで含めた全住人――にどちらにするかを投票してもらうのだ。そしてもうひとつは、知識と経験が豊富な複数の医師に決断を委ねるという方法だった。
自分が詳しくないことでいちかばちかの決断を下さないといけないときや、単純に正解を知らないとき、最善の情報を得るために何をいちばんに決める必要があるか? それは、相談する相手や情報を求める相手を誰にするかだ。自分たちを代表する政治家を選ぶ、大麻を合法化する、風力発電所の建設を認める、といった多くの重大な局面では、大多数の人がどう思うかが何よりも重要になる。
そういう決断を下すときには、民主的なアプローチが好ましいとする意見がよくあがる。しかし、冒頭で示したような医療事案で、大多数の意見を尊重することが何よりも重要だと主張する人が大勢いるとは思えない。決断の肝となるのはその質であり、たいていは、多数決を採るより数人の優秀な医師に尋ねるほうが賢明な決断が下せる。
何についてにせよ、人が持つ知識は平等ではない。人一倍歴史に詳しい人もいれば、人一倍自動車に詳しい人、人一倍医学に詳しい人もいる。知識を力だとすると、さまざまな分野の専門家の知識を遮断すれば、自分で自分の力を弱めることになる。
専門家の意見に耳を傾けることには、「やりたいことができるようになる力を手に入れる」という側面もあるのだ。