天覧試合で初のアベック弾「長嶋さんに守られて野球ができた」…福岡ソフトバンクホークス会長・王貞治さん

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
「ON」と呼ばれた王貞治さん(左)とともにバットを構える長嶋茂雄さん

多くの人々を魅了した長嶋さんは、各界の著名人たちの人生にも大きな影響を及ぼした。野球の記録だけではない、長嶋さんの偉大さを振り返る。

◇ ◇ ◇

「『ありがとうございました』という言葉で、すべてを表せると思います」

訃報(ふほう) を受け、3日に報道陣の取材に応じた王さんが口にしたのは、感謝の言葉だった。

早稲田実高(東京)から巨人に入団した1年目の1959年の6月25日。プロ野球初の「天覧試合」となった阪神戦で、長嶋さんと初のアベック本塁打を記録した。巨人の黄金期を築き、大勢のファンを沸かせた両雄は、「ON」として並び称される。だが、自身の認識は少し違う。

「確かに打つということだけを考えれば『ON』なんだけど、長嶋さんはプロに入ってきた時からスター。(4年目にブレイクするまで)『王は三振王』なんて言われた。途中からじゃ、やっぱり本当のスターにはなれないんだ」

勝負強い打撃と天真らんまんな言動で、ファンやメディアの注目を一身に浴び続けた長嶋さん。王さんは「『プロ野球の長嶋茂雄』で、僕は『ジャイアンツの王貞治』。『ON』と言われても、自分の立場は分かっていた。長嶋さんに守られて野球ができた」と振り返る。

思い出深い一戦がある。68年9月18日、甲子園での阪神戦。四回に頭部に死球を受け、担架で運ばれた。その直後、長嶋さんは敵討ちとばかりに3ランを放った。「僕の悔しさを晴らしてくれた。すごいと思った」。最高の結果に結びつける集中力に驚かされたという。

「記録の王」「記憶の長嶋」とも評された2人。王さんは「存在感では全然かなわないから、とにかくバットで存在感を示すしかなかった。『追いつけ、追い越せ』という思いでプレーしていた」。まばゆい光を放つ背中を懸命に追いかけた日々が、通算868本塁打の金字塔へつながった。

「(脳 梗塞(こうそく) に倒れた後)全てを乗り越えるという姿勢を持って、苦しいリハビリも率先してやっていた。『退く』ということのない人生だったと思う。常に前向きで、いつの間にか引き込まれてしまう、そういう人だった」。愛する野球をスポットライトが当たる舞台へと導いてくれた。背番号3に対する尊敬の念は、これからも心の中に宿り続ける。

(運動部 財津翔)

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事