「ついに一時代が終わった」「こんな形で…」との声も。《「ダウンタウンDX」放送終了》に見る"共犯関係"で作る番組の終焉

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結論から言えば、おそらく終わる番組と、終わらない番組は、きっちり分かれるだろう。代役では成り立ちにくい「ダウンタウン頼み」のコンテンツは整理され、「企画勝負」のものは代役を立てつつ継続すると予想している。

たとえば「水曜日のダウンタウン」(TBS系)は、2人の言動よりも、「説」と呼ばれる企画の妙が、視聴者の心をつかんでいる。もちろん2人の不在により、その「味付け」には変化が出る。しかしスタッフの発想力と実践力が絶えない限り、コンテンツとしての価値は保ち続けるだろう。

ただ、こうした番組は、おそらく一握りだ。ダウンタウンに限らず、「タレントのMC力」だけに頼る番組は多い。もちろん、起用されるタレントが面白ければ、コンテンツとして成立するし、視聴率も確保できる。しかしながら、世間の移り変わりによって、そうした番組づくりに限界が来ているのではとも感じるのだ。

「タレント頼み」の番組制作が抱えるリスク

直近で言えば、フジテレビ問題をめぐる、視聴者の受け止めは、まざまざと時代の変化を感じさせる。

第三者委員会の調査対象者に、「とんねるず」石橋貴明さんも含まれていたと報じられると、1980年代〜1990年代の芸風を理由に、批判が相次いだ。一部に「当時のエンタメとしては当たり前だった」との擁護も見られるが、そのかつての隆盛ぶりゆえ、反対に「当時は『嫌いな芸風だ』と言えなかった」との告白も少なくない。

フジ問題では、とんねるずとともに一時代を築いた港浩一氏(フジテレビ前社長)が、時代錯誤の象徴として扱われている。そして、お家芸だった「ギョーカイの内輪ノリ」が、軽薄さにつながり、フジ問題の温床になったとの指摘もある。

この件からも見えるように、タレントと制作スタッフの関係性をベースにして、そこへ視聴者を巻き込む「共犯関係」は、すでに時代の流れに合わないのではないか。そして「タレント頼み」の番組制作は、こうした演者と制作陣の距離感をバグらせる危険性をはらんでいる。

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