真の才能は「狂気に満ちた集中」から生まれる IT時代にこそ「真価を発揮する才能」とは?

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周囲からの評価をあてにせず、ただ黙々と自分の世界に没頭するというと、何か修行僧か、求道者のような印象を受ける人もおられるでしょう。しかし、必ずしもそうとは限りません。

たとえば僕が子供の頃は、まだまだ「本を読むのはいいことだけど、漫画を読むのはダメ」という価値観がかなり強かった時代でした。その頃、時間を忘れて漫画を読みふけることは、多くの人から無価値で、無意味だと思われていたことだろうと思います。しかしいま、一流の漫画家として活躍している人の多くは、幼い頃に親の説教を振り切ってまで、漫画に没頭した経験を持っていただろうと思うんです。

自分の子供が1日に何時間もゲームばかりやっていたら、昔はもちろん、いまでも眉をひそめる親は多いでしょう。しかし、クリエイターやプログラマーの中には、やはり人生のどこかの時間を、どっぷりとゲームに没頭することに費やした経験を持っているのではないでしょうか。

ネット時代における「意味ある才能」とは?

小さな子供は、大人が見てもまったくおもしろくないDVDを何度も、繰り返し見ます。あるシーンが「ツボ」に入ったら、そこだけを何回もリピートして見て、何回も大笑いしている。大人の感覚世界からすれば「無意味」でしかないシーンであっても、その本人には、大きな価値がある。

僕は、こういうところにこそ、本当の「才能」の芽があるのだと考えるのです。周囲からみてどれほどそれが無意味で、無価値に見えようとも、その人間が集中しているものを邪魔してはいけない。なぜなら、何かひとつのことに没入した経験によって、才能というのは花開くからです。

「将来、収入アップにつながるから」「上司からやれと言われたから」といった理由があると、僕らは本当の意味で物事に没頭することが難しい。そういう社会的、あるいは論理的な理屈付けなく、「それ自体」に没入するということ。それが僕のいうところの「集中」です。

たとえば「おにぎりを食べる」という行動ひとつとっても、コメの一粒一粒の味や食感、あるいは温度を舌や口腔内で感じとり、ゆっくりと飲み込んでいくプロセスを楽しめれば、単に「栄養摂取」としておにぎりを食べるのとはまったく違った没入体験となるでしょう。

今回の話は、「わかる人にはわかる」し、「わからない人にはわからない」お話になってしまったかもしれません。でも、これからの時代を生きる若い人には特に、なんとなく、今回の話を心のどこかに、留めておいてもらえれば、と思います。

というのも、多くの商品が機械で生産されるようになり、あらゆるデータがグーグルで検索でき、SNSで拡散するようになった世界において、本当に「意味のある才能」とは何か? ということは、これからの時代を生き抜いていく一人ひとりの人間が、死活的問題として考えておかねばならないことだと思うからです。

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