この投稿から26年後の2021年に日本経済学会のサテライト・イベント「経済学の学び方・活かし方」(『経済セミナー』2022年4・5月号掲載)で小枝教授は次の通り述べている。
生まれ故郷を捨て移民となる要因の中で「経済的な要因」が重要であることに気付いたことが経済学を志したきっかけであったことがうかがい知れる。
その頃のイギリスは「高校生の私でも街を歩くと不況を肌で感じられるほどでした」と小枝教授が述べている通りの深刻な不況の最中だった。多感な高校生の時に、先進国であっても深刻な不況に陥ることを肌で感じたことは、後に見る通り、現在も小枝教授の学問的関心に大きく影響していると思われる。
小枝教授は経済学を学ぶという明確な意思を持って1995年4月に東京大学へ入った。
植田和男日本銀行総裁が当時は東大経済学部の教授であったことから、小枝教授の恩師は植田総裁であると言われている。しかし植田総裁は1998年4月に日銀審議委員へ就任している。もし小枝教授が第3学年で植田ゼミに入り植田総裁が指導教官であったとしても、それは1年間だけだったと考えられる。
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