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1に監視、2に密告…韓国戒厳令支えたスローガン いつでもどこでも見られている閉塞感満載のリアル

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強権で固めた朴正熙政権に反対運動が広がる中、1973年に「金大中事件」が起きます。当時の韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)が、金大中を東京のホテルで拉致し殺害しようとした大事件でした。

――宮塚先生が1973年に留学生活を始めた後にも、大事件がありました。

金大中事件は、外国の情報機関が日本国内で拉致という重大犯罪を犯したため、日本国内では大きな問題になりました。ところが、1974年に日本が韓国で深くかかわる大きな事件が発生しました。1つは「民青学連事件」、もう1つは「文世光(ムン・セグァン)事件」です。

日本もかかわる大事件も発生

前者は韓国の学生たちが社会主義政権の樹立を企んだとして、多くの学生や知識人などが相次いで韓国の捜査当局に拘束されました。このとき、事件を取材していた日本人ジャーナリストとその通訳を務めていた日本人留学生も逮捕され、起訴されました。これにより、「反共」(反共産主義)だけではなかった韓国政治の現状が日本でも広く知られることになります。

文世光事件は、大阪市内の交番で拳銃を盗んで韓国に渡った在日コリアンが朴正熙の暗殺を企み、1974年8月15日の「光復」(日本の殖民地から解放されたという意味)記念式典で演説中の朴正熙に発砲しました。

銃弾は朴正熙に当たらず、同じ壇上にいた夫人の陸英修(ユク・ヨンス)氏に当たり死亡します。日本の警官の拳銃が韓国に持ち込まれ大統領夫人殺害という重大犯罪がなされたこと、また文世光が北朝鮮系の朝鮮総聯側の人間だとして、金大中事件とともに日韓間で大きな外交問題となりました。

そういった時代に、私は韓国に留学したわけです。

――当時、韓国各地で貼られていたポスターやビラ、貼り紙などをお持ちですね。「スパイを見つけたら申告せよ!」と訴える内容のものが大部分です。申告というよりは、「密告」といったほうが適切かもしれません。

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