近鉄奈良駅、地下に広がる「ターミナル」の特異性 徒歩数分でシカに会える、外国人にも大人気

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ホームは地下2階に4面4線。京都や大阪、神戸の中心部と直結する電車が頻繁に発着する。京都方面との間には特急も設定されている。朝には大阪方面へ、夕方以降は奈良方面へ通勤・帰宅時間帯の着席需要に応じた特急が走る。2022年には大阪難波―近鉄奈良―京都間を結ぶ観光特急「あをによし」がデビューした。

ホームの端に「列車扱室」と表示された一角がある。近鉄奈良駅の須合良介駅長は「昔はここで信号を手動で扱っていました。私にとっては先輩に鍛えられて仕事を覚えた、懐かしい思い出のある場所です。ホームからは見えないですが炊事場があって、食事を作ったり、コーヒーを入れたりするのも新入社員の仕事でした」と話す。

須合駅長は1983年の入社。初めに配属されたのが近鉄奈良駅だった。乗務員や、新田辺の駅長と列車区長、運転士の養成所などを経て2023年11月に近鉄奈良駅長となった。列車扱室は現在、駅係員の詰所となっている。

近鉄奈良駅長と駅名標
近鉄奈良駅の須合良介駅長。入社後初めて配属されたのも同駅だった(記者撮影)
近鉄奈良駅 列車扱室
地下2階のホームの端にある「列車扱室」。かつてここで信号を手動で扱っていた(記者撮影)
【写真の続き】近鉄奈良線の電車は新大宮駅の東側から地下区間に入り、近鉄奈良駅に到着。普段じっくり見る機会が少ない地下2階のホームの様子は?

「近畿日本奈良駅」時代に地下化

近鉄奈良駅は、近鉄の前身の大阪電気軌道(大軌)が1914年4月30日、上本町―奈良間を開業させた際に誕生した。開業当初の駅名は「奈良」。1928年に会社名を冠した「大軌奈良」となった後も、社名の変更とともに「関急奈良」「近畿日本奈良」と駅名が変遷した。

現在、1つ手前の新大宮駅を出た電車は地下に潜って近鉄奈良駅に到着する。かつては国鉄関西本線を越えたあたりに油阪駅があり、奈良駅付近は路面電車のような併用軌道だった。

2010年刊行の『近畿日本鉄道100年のあゆみ』は「同区間は奈良線の高速化や増発を妨げる要因となり、戦前から地下化が検討された。しかし、戦争によって計画は頓挫していた」と説明している。

第2次世界大戦後のモータリゼーションの急速な進展に伴い、道路の渋滞が深刻化。地下化の転機となったのは1970年の大阪万博開催だった。奈良への観光客の増加を見込み、1967年に奈良県と奈良市が大規模な都市計画街路整備事業を決定。大宮通りの拡幅と近鉄線の地下化、駅前広場が整備されることになった。

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