聞けば、シナリオ作りの共同作業は半年ほどかけて取り組まれたとか。初期段階では脚本に対して「アメリカ映画の要素の強さ」を感じたと言います。
具体的には「拳銃の撃ちあい」を挙げ、「そのまま撃ちあいを多く描くと、しんどいところがあったので、互いにキャッチボールをしながら修正を重ねていきました。銃よりもボディアクションのほうが日本のドラマとしてリアリティがありますからね。ただ、アメリカ人がどういうドラマを見たいのか、その意図は大事にしたつもりです」と、武監督が話していました。
世界で伝説化されている日本の漫画「AKIRA」のような印象が冒頭から強かったのは、良くも悪くもこうした話し合いが背景にあったからだと納得もさせられます。
一方で、助監督デビューから30年以上のキャリアを持つ武監督がアメリカ側の視点に新鮮味も感じています。それは「親殺し」という際どい題材でした。「アメリカの人たちがあえてタブーをシナリオに放り込んできた。比喩的な意味で親を殺さないと次に進めない人は実際にいますから、これを1つのテーマにしたことに面白みを感じました」と明かしています。
ネタバレは極力避けますが、作品の中でどのように表現されたのかというと、親のいない桐生たちが親の代わりになるものを探した末に、ヤクザの世界に入り、そのヤクザの世界でもご法度の「親殺し」がストーリーのカギになっていきます。つまり、「親殺し」という選択に彼らのなす術のなさを表しているのです。
骨太ストーリーに仕上げたドラマについて、龍が如くスタジオ代表の横山昌義氏も太鼓判を押し、「主観視点で楽しむのがゲームだとしたら、これは究極の客観視点で楽しむ『龍が如く』」と公式コメントで語っています。
撮影許可が下りないことも
2005年に発売されてから愛され続けるゲーム原作をドラマ化する以上に挑戦的だったことが実はほかにもあります。それは、実写のヤクザものという条件でした。武監督から聞いた限り、撮影から仕上げ時まで苦労した様子です。ヤクザの世界を描くドラマそのものがタブーな時代であることが背景にあります。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら