「悩まない人」がやっている"意外すぎる思考法" 人は答えが出ていることにはさほど悩まない

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冒頭、自分も迷子だ!! と堂々と宣言した国民的迷子代表の私だが、意外と迷子であることは恥ずかしく思っていない。

なぜかと言うと、私はこう考えているからだ。

まず「何かしらで悩んでいる」ということはどういった状態か? これは簡単。

「決めていない」。まさに、ズバリこれである。

実際に決めるという活動は、思考し、自分に問いかけ、決断の責任を負うという一連の過程を体験する、人生において非常に有益かつ価値のある活動だ。

なので、「決める」ことも「悩む」ことも私は否定しない。胸を張っていい。悩んでいる皆さん、悩みは必要だ!

※人間として生きるにあたって、悩むことは必ず必要だ。私に至っては、毎日「超金持ちな石油王の娘と、ワールドクラスの絶世の美女に同時に求婚されたらどちらに行くべきか……!?」というインターナショナルな悩みというか、見る人が見たら「ハイハイ」的リアクションしかもらえなさそうな悩みを自分で作り上げ日々葛藤している始末だ。

では、「悩む」ことの何が問題なのか?

そう、それは「悩む」とメンタルが擦り減る。コレだ。

悩んでいる時間、嫌な想像しちゃう問題

例えば、以下の状況になったとしよう。

・職場で仲のいい同僚と、雑談ついでに業務の効率化について話していた
・同僚は「業務Aのマニュアルは、ステップが煩雑すぎてミスが起きやすいように思う。いっそシンプルにして、わかりやすいフローにした方がいいんじゃないか」と言ってきた
・自分は、業務Aは時間や手間がかかるわりに、事務的手続きの域を出ず、売り上げにも直結しないため、外注した方がよいのではと前々から思っていた
・自分は業務Aに長い間ストレスを感じており、同僚相手だったこともあって、ぐちを言うノリで「外注すべきだ」と強めの言葉でまくし立てた
・すると、同僚は徐々に不満げな表情になり「じゃあ上司にそう言えば」と言い残して立ち去ってしまった

――よくある精神的にコタえる状況だ。

気心の知れた相手だったし、たまっていた不満をつい勢いで言ってしまったけど、否定された気分にさせてしまった? それか、「私に言わないでよ」と思われた? でもぐちのつもりだったし、軽い気持ちで聞いてくれてもよくない? だけど、せっかく仲のよかった同僚なのに、これから気まずくなるのは嫌だ! でももう言ってしまったし、今さらどうしたらいいんだろう……。

……といった悩みでメンタルは擦り減っていくだろう。

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