石破茂氏に捨て駒としての価値を見た自民の冷徹 沈没の危機に瀕した党が繰り出す奥の手が炸裂
他方、石破氏は、10年前の2014年9月24日にインタビューで聞いた回顧談が今も鮮明に記憶に残っている。
石破氏は政治家になる前、銀行員だった1981年に元鳥取県知事の父・石破二朗氏と死別した。他界の直前、鳥取の病床で「死ぬ前に角さんに会いたい」と漏らした父親の願いを、直接、田中元首相に電話で伝えた。
田中氏は鳥取に出向く。「田中派葬」で葬儀委員長も引き受けた。さらに石破氏に「すぐに銀行を辞めて選挙に出ろ」と命じた。石破氏は田中氏を「魔神」と呼び、自ら「政治の師」と評する。「田中さんの根幹にあったのは親切心」と説明した。石破氏は「魔神」の魔力に引き寄せられるように政治の道に進んだ(『週刊東洋経済』2014年11月8日号掲載の塩田潮執筆「ひと烈風録・第1回 石破茂」)。
石破氏は田中角栄直系の現役政治家
石破氏は田中氏から「民意を知り、民意を実現するのが政治、という姿勢を学んだ」と語った。田中政治といえば、「金権」「派閥第一」「利権政治」の残像が強い。半面、「戦後民主主義」「民意重視」「列島改造」といった角栄流政治も見落とせない。今も「角栄人気」が根強いのは「プラス面での角栄流」が支持されているという背景があるからだ。
石破氏は小沢一郎元民主党代表らと並んで、今や数少ない田中直系の現役政治家で、角栄流を肌身で知る政治リーダーである。「民意との結託」や「地域活性化による日本再生」などの石破氏の姿勢と路線は角栄流の影響が色濃いと映る。
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