「月収2万」の元部活動指導員が教師を目指した「お金だけじゃない」理由 吹奏楽顧問「生徒と音楽作るうえで大事なこと」
当時、県の嘱託指導員は週2回の契約で、1校当たり月収約2万円。「日中は指導員、深夜は牛丼屋のアルバイトに入る生活」でなんとか食いつないでいたという。
「嘱託指導員は比較的練習時間の長い土曜日と日曜日が稼ぎどきになるので、それぞれ午前と午後のブロックに分けて4校ほど指導に行っていました。
一方で、牛丼バイトのほうは週末に人手が足りなくなるのか、金曜の夜に入ってくれと言われることが多くて。土曜の朝まで働いて、上がったら大至急で学校に向かったこともありました。もちろんその後、金曜のバイトシフトは断るようになりましたが……」
そのような綱渡りの生活でも、生徒指導に対する熱は冷めることがなかったのだろう。指導校の1つであった海老名市立有馬中学校吹奏楽部では、上髙原氏が指揮を担当した2001年から2014年の間、吹奏楽コンクールでほぼ毎年県大会を突破し、東関東大会への出場を果たしている。
とはいえ、約10年もそのような生活を続けられたのはなぜなのか。「純粋に楽しく、やりがいを感じていたことが大きいです。生徒にとっても意味のある時間にできているという手応えがありました。途中から教員を目指すようになったこともあります」。

教師を目指すきっかけとなった「生徒同士のふとした会話」
その後、外部指導員から教員を目指したのは、もちろん収入面の安定もあるが、「信頼関係の構築」が大きかったという。外部指導員として有馬中学校の指導に入っていた当時、上髙原氏は主に指揮者として音楽指導を担当し、顧問をしていたベテランの女性教師が、生徒の生活指導や保護者への対応などを担っていた。
「当時は若かったこともあり、自分が指導を一手に引き受けているつもりになっていましたが、生徒の気持ちのフォローなど、いちばん大変な部分を顧問の先生がやってくださっていて。自分はお膳立てしてもらったところで指導していたんですね。
指揮も演奏も、素人同士で音楽を作り上げるうえでは、信頼関係で埋めるものが随分あると感じています。それを埋めた時に、技術的に拙い部分があっても人の心に届くような演奏ができるのかなと。だからこそ、教員になって授業での様子や生活全般も含めて、生徒を見てみたいなと思うようになりました」
外部指導員時代、生徒同士のふとした会話や様子を見聞きしたこともきっかけになった。
「生徒が、先生のことを『〇〇T(ティーチャーの略)が』といって楽しそうに話しているんです。大会に応援に来てくれた先生を見て大はしゃぎしたり。少し嫉妬するではないですが、会話の中に先生への信頼や親しみがにじみ出ていて、自分もそうした関係性を築きたいと考えるようになりました」
一念発起して教員免許を取得、2008年に音楽教諭として有馬中学校に赴任した。
教師になって17年目、「今は蒔いたタネの収穫期」
教員の仕事は忙しい。実際に取材時も、「会議が何個も重なって……」と慌ただしい中、時間を割いてくれた。多忙な中でも、どんな部分にやりがいを見いだしているのだろうか。
「これは年数を重ねないとできない経験ではありますが、中学で見ていた生徒がどんな大人になるかを知れるのはうれしいですね。卒業生が、大人になってから自分の子どもを連れて顔を見せに来てくれたり、中学生の頃を振り返って今だからできる話をしてくれたり」