悲しき「口裂け女の都市伝説」が海を渡るまで 2022年7月には台湾メディアで「目撃情報」も
1978年、岐阜県からはじまった口裂け女の目撃談は、『名古屋タイムズ』1979年1月22日付の記事「“口裂け女”が出たあ!!」を皮切りに、各マスコミがこぞって取り上げて瞬く間に伝播。警察や教育関係機関が注意喚起するほどの大混乱が生じた。
集団下校がはじまり、警察までも出動する事態に
新聞『名古屋タイムズ』に続き、雑誌『週刊朝日』1979年6月29日号「全国の小中学生を恐れさせる 『口裂け女』風説の奇々怪々」の記事など、さまざまなメディアに取り上げられた口裂け女。その影響力は凄まじく、学校では注意を喚起して集団下校を開始。誤報で警察が出動するほどの社会現象になった(図2)。
時には誤認や思い込みも飛び出し、噂話に信憑性を与えた。岐阜県在住のYさんは約40年前、小学生のころに口裂け女を目撃したという。
「女がトイレで手を洗っていた。鏡を見たときに口が裂けているのがわかった。ヤバい! と思って、すぐトイレを飛び出した」とのこと。だが人々を恐怖に陥れた口裂け女の足取りを分析すると、じつは日本全国を駆け回った逃避行であったことが判明した。
1978年12月の岐阜県ではじめて目撃されて以降、口裂け女は日本全国を転々とする。長距離にもかかわらず日本を縦断する理由は何だろうか。仮説として挙げられるのは、忌み嫌われたために追いやられて居場所がなくなったのではないかというものだ。
岐阜県のある街では、件の人物が変質者の可能性もあるため「夜間外出禁止令」が出たという。
そんななか、子どもたちの間でまことしやかに広まったのが、口裂け女の嫌いなものを用いた撃退法だ。「ポマード」を連呼すると口裂け女が逃げ出すという話を聞いたことがある人もいるかもしれない。こういった撃退法が流布され、排除される存在となった口裂け女は、居場所を探すように彷徨い、日本中での目撃事件が多発していく(図3)。