6月から始まった首相肝煎りの定額減税。恒久化を望む声もあるが、財政健全化との整合性が取れるか。
そのとき、宰相の周囲には悲壮感が漂っていたという。
1997年12月、当時の橋本龍太郎首相が所得税の定額減税を決めたときのことだ。
「潰れることなどない」と思われていた巨大な銀行や証券会社が相次いで経営破綻。街中の金融機関の前には人々が列を成した。取り付け騒ぎだ。当時の当局者は「自分たちが今どこにいて、どこに向かっているのかがまったくわからず、とても怖かった」と振り返る。
日本経済はギリギリまで追い詰められていた。減税は緊急に必要な措置として考案された。ただ、これは橋本政権が錦の御旗に掲げ、2003年度までの大幅な赤字縮小策を盛り込んだ「財政構造改革法(財革法)」の方針に反するし、政治的なショックも大きい。
減税の決断は、同月17日朝、当時の自民、社会民主、新党さきがけという与党3党の幹部を官邸に集めて伝えられた。この会議を後ろで聴いていた官僚が議事録として残したメモによると、財革法との関連などが議論されているうちに、だんだん危機感があらわになってきた。最後に橋本首相はこう言い切った。
崖っぷちの定額減税決断
「各党にご連絡したとき、政権の命運に関わるとのご意見もあったが、それでもいい。このままでは国がもたない」
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