第2次世界大戦では、ベルギーはイギリスとフランスに領土安全を保障させた上で、再び中立を宣言したが、またもドイツに侵略される。ベルギー政府はフランスに落ちのび、フランスがドイツに占領されると、イギリスに亡命政府を樹立した。当時のベルギー国王は、国民の犠牲を避けるためドイツ軍に降伏したが、住民の強制労働やレジスタンスの処刑、さらにはユダヤ系住民約5万人以上の虐殺で、人口の約1%にあたる約8万8000人が死んだとされる。
ベルギーは戦後、両大戦の教訓から中立主義を捨て、二国間方式ではなく多国間条約による西欧諸国の同盟を設立する構想に参加した。ベルギーとオランダ、ルクセンブルクの3カ国は、同盟の主導権を英仏に握られることを避け、小国である自国の発言権を確保するために、アメリカを同盟に引き込もうとする。そうして1949年に実現したのが、北大西洋条約機構(NATO)だ。
平和主義の本質から離れる日本式「平和主義」
平和主義とは、非暴力的な手段をもって平和という目的を達成しようとする主義主張だ。ただ、その歴史的系譜をみると、侵略に対する自衛戦争は原則の例外として認められてきており、自衛を否定する考え方では本来ない。
しかし、日本は元寇までさかのぼらないと一方的な侵略を受けた歴史がなく、また戦後長らく社会党の「非武装中立」論が影響力を持っていたため、自国が侵略の意図を持たなければ他国から侵略されない、占領されても抵抗しなければ殺されない、と主張する識者が現在でも一定数いる。
これが歴史的に見て誤りであることは、ベルギーの歴史が示している。まして、沖縄が戦場にならないために、中国の武力による現状変更を認めるという発想は、平和主義の本質から外れている。
フランスとドイツに挟まれたベルギーが中立を維持できなかったように、日本(本土)と中国、台湾に囲まれ、どの国からも戦略上の要所と見られる沖縄が中立を貫くことは至難の業だ。だが、在日米軍専用施設の約7割を負担させられ、自衛隊基地が新たにおかれた宮古・八重山諸島が最前線とされることは、私も含めた沖縄の住民にとって受け入れがたい。
問題は、故・翁長雄志沖縄県知事が著書『戦う民意』で喝破したように、「日本全体で安全保障を守るという覚悟をもって、全国で平等に基地を負担」せず、「沖縄一県に押し付けて、21世紀のこれからもなおその状態を永続させようとする安全保障政策」である。それは、中国が武力による現状変更を意図しているからといって、正当化されるものではない。議論は常にそこに戻さなければならない。
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