侵略へ感度なき日本、平和への防衛負担を公平に 太平洋戦争の地上戦から見る戦争の教訓(後編)

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ソ連軍は関東軍が占領していた中国東北部の満洲に侵攻。旅順・大連を占領し、日本の植民地統治下にあった朝鮮半島北部を襲う。同時並行で南樺太にも軍を進め、現在の北方領土を含めた千島列島に上陸した。

アジア太平洋戦争の最後で最悪の地上戦

大本営は、ソ連軍が日本本土に上陸しないよう満洲で足止めする持久戦を考えていた。しかし、満洲防衛を担当していた関東軍は兵力も武器も不足し、防衛招集で集めた民間人への訓練も十分に行われなかった。楽観的かつ重要な情報を関東軍に伏せた大本営の作戦は二転三転。防衛態勢が整わない満洲国にソ連軍が3方向から攻め込む。

満洲の国境線で抵抗する日本軍は戦果の乏しい戦車への自爆攻撃に固執。主力部隊は大本営から朝鮮半島への南下を命じられ、国策で満洲に集められた開拓民を置き去りにして移動した。その結果、日本人の死者数が増えていった。

ソ連軍による無差別攻撃や、搾取されていた地元住民による襲撃は、日本人非戦闘員の集団自決を引き起こす。戦闘で生き残った者も、ソ連軍による略奪やレイプ、労働力にするための軍民問わぬ強制連行、食糧や生活物資の配給がまともに行われなかったことで次々死んだ。開拓民らの死者数は約7万2000人にのぼるという。

ソ連軍の無差別攻撃や強制連行、民間人の保護放棄は、南樺太や千島列島でも横行した。ちなみに、ソ連によるポーランドとフィンランドへの侵略や独ソ戦でも、ソ連軍の無差別攻撃や捕虜虐待・殺害、略奪と暴行、強制連行、食糧や生活物資の最低レベルの配給で莫大な死者が出ている。

日ソ間で停戦が成立したのは8月19日だが、それ以降も、ソ連軍が停戦よりも占領を急ぎ、自衛のため武装解除に応じない日本軍を攻撃、日本側も抵抗したことで、犠牲者はさらに増えた。日ソ戦で亡くなった日本軍兵士は3万人を確実に超えるが、正確な数は不明だ。他方、日本人の民間人は約24万5000人が亡くなった。住民を巻き込んだ最後の地上戦の悲惨さは群を抜いている。

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