侵略へ感度なき日本、平和への防衛負担を公平に 太平洋戦争の地上戦から見る戦争の教訓(後編)

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太平洋戦争で地上戦となった場所はいずれも、外地や日本の辺境(硫黄島、沖縄、南樺太・千島列島)だ。沖縄戦のみならず、南洋諸島やフィリピンの戦闘で死んだ日本人非戦闘員の多くも沖縄出身だった。沖縄戦で死んだ兵士のうち北海道出身者は10805人で、死者が1万人を超えるのは沖縄・北海道出身者だけだ。

こうした事実は、死者の出身の偏りも示している。本稿では詳しく触れられなかったが、太平洋戦争では朝鮮人兵士15万人、台湾人兵士3万人に加え、朝鮮人軍夫・慰安婦なども正確な数は不明だが戦場に連行され死んだ。外地や辺境の出身者ほど命が軽い戦争だったといえる。

政策決定者に残る辺境を戦場にする発想

問題は、本土防衛のために辺境を戦場とするという政策決定者の発想が、戦後も変わっていないことだ。

冷戦期、ソ連軍の上陸を想定して北海道には陸上自衛隊の戦車部隊などが重点的に配備された。ソ連が1979年末のアフガン侵攻と前後して北方領土で軍備増強すると、ソ連軍が1981年に北海道を占領し日本から分離独立させる、と予言する在日ソ連ジャーナリストの本が出版されて東京で話題となった。また、中曽根康弘首相は1983年、対ソ有事には北海道とサハリン(樺太)の間にある宗谷海峡など、3海峡を封鎖する作戦を発表した。

既視感を覚える話だ。昨今の台湾有事をめぐる動きとよく似ている。

沖縄には1972年の日本復帰後から、全国の在日米軍専用施設の約7割が集中する。尖閣諸島付近で海上保安庁の船に中国漁船が衝突、漁船の船長が逮捕された2010年の事件を機に、対中抑止として与那国、宮古、石垣の各島に陸上自衛隊駐屯地が順次開設された。同時並行で、中国が沖縄に工作員を送り込み、独立派や基地反対派の運動を煽っているという話が、沖縄の外でまことしやかに語られるようになる。

冷戦期はソ連、現在は中国の脅威に対抗して辺境を前線とするという発想には、辺境を犠牲にすることで本土は戦場にならない、という暗黙の前提がある。太平洋戦争で各地の都市部が大規模空襲で多大な被害を受けたのに、冷戦以後の長距離ミサイルの時代に水際作戦に固執し続けてきたのは非現実的、非合理的としかいいようがない。

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