「ミセス炎上」MV停止や即謝罪でも"延焼"の深刻度 ミセス・大森の謝罪は誠実だったのになぜ?
そのような状況の中で、ヨーロッパ中心、白人上位と受け止められるような表現は、少なくともビジネスの世界では認められません。コカ・コーラという、グローバル企業のために作られた楽曲のMVがそのような内容に見えるという点で、より多くの批判を呼ぶこととなりました。
「“直筆”謝罪文」が悪手である理由
「炎上」と呼ばれる状態は、突然大爆発となることはまずなく、炎上に至る道筋があることがほとんどです。今回の騒動については、MVを制作する過程においていくつもの発火点を見逃したことが要因として挙げられます。
MV自体は広告ではないため、アーティスト側の仕切りだったのかもしれません(実際、日本コカ・コーラ社は、「事前に把握をしていなかった」と説明)。とはいえ、タイアップがコカ・コーラであることを考えれば、今回の作品を止めたり注意喚起したりする人がいないまま、公開されてしまったというのは、信じられない思いでした。
広告代理店にとってもレコード会社にとっても、とてつもない大仕事のはずだからです。
とはいえ、アーティストであるミセスが、自由な発想の一環として、今回のような作品を構想することは、「あり」だと思うのです。発想や思考が奇抜だったり、とんでもないものだったりすることは、企画時点ではむしろ有意義であることは多々あります。
それがアーティストやクリエイターというものであると思うし、ときとして非常識なものもあって当然だと思います。そうした発想だからこそ、すばらしい芸術も生まれるのでしょう。
一方、事業運営者は、そうしたクリエイターの発想を現実に基づいて整備して世に出すのが仕事です。そのまま垂れ流しにするだけなら存在価値がありません。
ミュージシャンが発想するまでは自由だと思いますが、それを映像化するプロセスで、誰もその危険性に気付かないことが、大きな問題なのです。今回も実際に納品してしまったという点で、制作過程がノーチェックという杜撰な環境で作られてしまったと見られてしまいます。
アーティストやクリエイターの自由な発想が招いた騒動としては、次のことが記憶に新しいかと思います。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら