──事件直後、新聞社からコメントを求められ、「八つ裂きにしても足りない」と発言した。しかし、手紙の言葉はあくまで穏やかで、思索的です。
私は死刑に反対です。彼に考え始める時間を持ってほしい。死刑はその時間を奪ってしまう。考え始め、責任を自覚する。責任を背負って生きる人生は、非常に意味があると思うからです。
予備校で医学系の入試論文の講師をしていたとき、赤ちゃんを3人死なせたインターンの医学生が「私に医師になる資格はない」と言ってきた。私は「辞めたら、医者は1人もいなくなるぞ」と言った。医者はミスの連続なんです。しかもそのミスは医者本人にしかわからない。それを背負って歩く。だんだん重くなっていく。その重さゆえ前に進むしかない。だから医者は辞められないのだ、と。
私たちも多かれ少なかれ、そうなんです。87歳の私なんか重荷だらけ。植松にも、自分がやったことの重みを考えてもらいたい。
彼からの返信で「大学に奉職するおまえが障害者の娘と生活しているとはひどい」とありました。大学とは能力のある人間を選抜し、育てるところだろう。俺は有言実行だが、おまえはそうではない、というわけです。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
東洋経済ID 会員特典
東洋経済IDにご登録いただくと、無料会員限定記事を閲覧できるほか、記事のブックマークや著者フォロー機能、キャンペーン応募などの会員限定機能や特典をご利用いただけます。
東洋経済IDについての詳細はこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら