「セクシー田中さん」詳細が公表されぬ4つの理由 日テレと小学館、本当に「責任逃れ」狙いなのか

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しかし、今回の件はあまりにもかかわる人が多く、今後の活動に支障をきたしかねないものであり、「『芦原さんと遺族を尊重した』という理由だけで納得させづらい」のも事実。芦原さんと「セクシー田中さん」のファン、芦原さんの友人・知人、他のドラマや漫画にかかわるプロデューサー、脚本家、漫画家、編集担当、営業担当などにとっては決して他人事ではなく、自分事として「真相を知りたい」「改善策を提示してほしい」という人が多いでしょう。

事実ネット上には、今後の仕事に不安を抱く当事者たちの声が上がっていますし、私が取材した他局のドラマプロデューサーや他社の漫画・小説編集者の中にも、「すでに業務で支障が出ているため、経緯を調べ直して公表してほしい」と話す人がいました。

芦原さんと遺族にとって本当に良いことかどうかにかかわらず、経緯を公表してほしいという人の数は圧倒的に多く、この理由だけで経緯を伏せたまま押し切るのは無理があるのです。

個人が糾弾される流れを避けたい

両社がなかなか動かない2つ目の理由は、「経緯を公表することで、再び個人を糾弾するという流れが避けられない」から。

関係者の周辺取材をしたところ、いくつかの実態が浮かび上がってきました。繊細な内容のため、詳細は書けませんが、これほどの問題が起きた以上、両社に多少の配慮不足やスケジュール優先の姿勢などがあったことは否めないでしょう。ただこれはドラマ制作に限らず、多くの人間がかかわるビジネスの現場では起こりうることであり、その原因はチェック機能やガバナンスなどの組織的な面に行き着くものです。

一般的に取引先や進行中の仕事が多い企業ほど、“組織的な問題点を洗い出すこと”を避けたがる傾向がありますが、現在の世の中でそれ以上に避けたいのは、“悲劇の連鎖を生まない”こと。テレビ局や出版社のようなメディアであればなおのことです。

今回、周辺取材をした中で最も多く聞こえてきたのが、「経緯を調べるほど個人を糾弾する流れになっていく」「公表したら公開処刑のようになり、社会から抹殺されてしまう」「当事者はすでに追い詰められているから、最悪のケースがないとは言い切れない」などと個人を糾弾されることへの不安でした。

是非の判断こそできないものの、組織としての保身というより、本気で個人の心配をしている声が多かったのです。どんな経緯や検証結果を公表しても、ドラマにかかわったプロデューサー、脚本家、演出家、あるいは担当編集者とメディア担当者、その上司などを世間の人々が過剰攻撃されるような形になってしまうため、それを避けたいのでしょう。少なくとも現在すでに「世間から個人より会社が責められている」という状況だけに、組織優先の責任逃れや隠蔽と言い切るのは無理があります。

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