死傷者を数えデータ化する、その人間的な営為 『戦争とデータ』など書評3冊

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ブックレビュー『今週の3冊』

 

[Book Review 今週のラインナップ]

・『戦争とデータ 死者はいかに数値となったか』

・『世界最高峰の経済学教室』

・『インフレ課税と闘う!』

『戦争とデータ 死者はいかに数値となったか』五十嵐元道 著
『戦争とデータ 死者はいかに数値となったか』五十嵐元道 著(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

評者・東京都立大学准教授 佐藤 信

数にすることは、その背後にある物語を切り捨ててしまう。コロナ罹患(りかん)でも待機児童でも、個々人の大きな苦しみがデータ上では数字の1と表現される。中でも戦争の死者の場合、太平洋戦争での日本の戦没者が約310万人といわれても、個々の苦しみのイメージは湧きにくい。

と、数を見下すのはたやすい。ただ本書を紐解(ひもと)いて、数え上げてもらえないのはなおさら残酷だと考えさせられた。

死傷者を把握しデータ化する 無機質にみえて人間的な行為

本書は戦争の死傷者をデータ化する体制とその歴史を扱うが、個人的には死傷者を数える困難を詳述した第4章をまず読んでみてほしい。戦場で砲弾が飛び交う中、敵はおろか、味方の死傷者を数える余裕さえない。ところが、兵士を待つ家族のため、非人道的行為を法廷に持ち出すため、また時に戦況把握のため、死傷者の把握は必要だ。

本書は過去の多様な試みを紹介する。中には、ベトナム戦争で米軍が敵死者を数え、その数値によって部隊の評価を競わせたことで、過剰な数を報告したり、文民を殺して兵士としてカウントしたりといった恐ろしい事例もある。数えるという行為は無機質にみえて、実際のところとても人間的なのである。

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