東日本大震災、その時、医薬品卸会社は《2》メディセオ--本社の対策本部と密接に連携、震災後も「翌日配送」を堅持

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--電気が通るまでにどのくらいの時間がかかりましたか。

野口 実は電気が通ったのは19日。震災から1週間もかかりました。14日午前2時頃に発電機が届くまでは、倉庫の中で懐中電灯を使って納品のための作業をしていました。その間、私は会社に寝泊まりしていましたが、支援物資が届いたのを目の当たりにして、本社の危機管理能力の高さを実感しました。

渡辺 それでも当社としては遅すぎるくらいでした。私は長岡支店長として2004年の中越地震も経験しましたが、翌日、物資が届きました。それに対して今回は2日後。そのくらい今回の地震は広範囲で、情報の収集をしきれなかったという面もあったと思います。

--医薬品の供給はどうでしたか。

渡辺 現在、医薬品が足りないといわれる理由の一つとして、避難所の声があると思います。避難所に入った医師の声が報道などに反映したのだろうと思います。では、医薬品が医療機関に届いていないかというと、決してそうではなかったと思います。

--取引先の医療機関とはどのようなやりとりをしてきましたか。

渡辺 私たちは医療施設に医薬品を届けることが最大の使命です。そのため、今日注文をいただいたら、明日には必ずお届けしますということをきちんと伝える努力をしてきました。それが安心感につながっていきます。

野口 3月14日に自家発電機によって電力が供給されたことにより、コンピュータの立ち上げが可能になりました。それにより商品があるのかどうかの確定ができるようになった。続いて埼玉物流センターから翌日、ものが入る体制になりました。

渡辺 3月15日火曜日の午前中までに、稼働準備が整いました。これにより、供給体制を再構築できました。

--「翌日配送」を維持するには、医療機関側の対応も必要ですね。

渡辺 明日この時間におうかがいしますので、それまでに必要な医薬品および数量をリストアップしてください、というお願いをしてきました。

--医薬品卸が医療機能維持のために果たした役割は大きかったですね。

渡辺 「翌日届きます」というのは信頼のよりどころです。それを間違いなく続けていくことが重要。同時に、社員や家族の健康にも配慮しています。


メディセオ宮城営業部の倉庫

(岡田 広行 =東洋経済オンライン)

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