生まれ変わった「京都丹後鉄道」の"目的地" "高速バスの革命児"は赤字鉄道をこう変えた

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首都圏でもよく見かけるウィラーの高速バス(撮影:ヒダキトモコ)

それでも、村瀬社長は「少しずつ、できるところから始めていく。5年後にはある程度の姿を見せたい」と語る。

地元での雇用創出にもウィラーは取り組む。「当社のカスタマーサービス部門やIT開発部門をこの地域に移管して、地元に就職先がないという若い人に働いてもらう」(村瀬社長)。ウィラーが先陣を切ることで、他企業にも追随してもらいたいという。通勤手段として丹鉄を使ってもらえば、運賃収入の増加にもつながる。

「地道にコツコツ」と丹鉄が変化

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車両には、まだ「北近畿タンゴ鉄道」の文字が残っていた

3月31日の夜。人気のない改札口やホーム上で、新社名への付け替え作業が行われた。駅名標を覆っていたシートがはがされると、そこには丹鉄の新しいロゴマークが踊っていた。

丹鉄のスタート当日、早朝に乗車した車両は従前の「KTR」のロゴマークを付けたままだった。「この車両は昨日までと同じなんです」と、乗務員が申し訳なさそうに頭を下げた。

でも、少しだけ変化したことがある。乗務員の制服が一新されたのだ。黒を基調にピンクのラインが入っている。「それ、ウィラーのシンボルカラーですよね」と問いかけると、先ほどの乗務員が今度は誇らしげにうなずいた。

「昨日と今日では気持ちがまったく違います」と、午後に乗車した観光列車のアテンダントが話してくれた。運営会社にウィラーが内定してから、多くの乗客が声をかけてくれるようになった。「ウィラー効果」の高さを目の当たりにしているという。

もしピンク色の鉄道車両を新造すれば、ビッグニュースになるのは間違いない。だが、村瀬社長はこうした派手な戦略は採用しなかった。看板を変え、制服を変える。「地道にコツコツ」。できるところから変えていく。小さな歩みでも、少しずつ前進していけば、5年後には大輪の花が咲くに違いない。

大坂 直樹 東洋経済 記者

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おおさか なおき / Naoki Osaka

1963年函館生まれ埼玉育ち。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。生命保険会社の国際部やブリュッセル駐在の後、2000年東洋経済新報社入社。週刊東洋経済副編集長、会社四季報副編集長を経て東洋経済オンライン「鉄道最前線」を立ち上げる。製造業から小売業まで幅広い取材経験を基に現在は鉄道業界の記事を積極的に執筆。JR全線完乗。日本証券アナリスト協会検定会員。国際公認投資アナリスト。東京五輪・パラにボランティア参加。プレスチームの一員として国内外の報道対応に奔走したのは貴重な経験。

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