元カリスマ書店員の読書教育プログラム
田口幹人さんは、岩手県にある老舗書店チェーン「さわや書店」で、店頭から多くの話題作を世に送り出した出版、書店業界では有名な元カリスマ書店員だ。現在は、合同会社未来読書研究所(以下、未読研)共同代表、NPO法人読書の時間理事長を務めるほか、出版取次会社の楽天ブックスネットワークで少部数卸売りサービス「Foyer」を手がけている。
そんな田口さんは書店員時代、1冊でも多くの本を売るためにできることを考える一方、学校や公共図書館で本とのタッチポイントをつくる活動を続けてきた。2019年に未読研を設立したのも、本と出合える場所をつくるためで、子どもたちが本と読書について考えるきっかけとなるよう「読書の時間」という読書教育プログラムも提供している。
出版業界の協力も得ながら、本とは何か、本を読むことの豊かさ、本との出合い方、さらには出版業界の仕事内容まで、本にまつわることを幅広く伝え、未来の読者を育てる取り組みだ。この活動を自治体や地域などと連携しながら拡大するために、昨年立ち上げたのがNPO読書の時間である。こうした田口さんの活動の背景にあるのは、長年いわれてきた子どもたちの読書離れだ。
「私たちは本を読む、読まないではなく、子どもたちになぜ本が嫌いなのかというアンケートを18年前から取り続けてきました。その原因は、おおむね3つに集約されます。3位が『音読で恥をかいた』、2位が『読みたくない本を読まされた』、そして1位が『なぜ本を読まないといけないのかを教えてもらったことがない』。音読は別として、課題図書などで読みたくない本を読まされ、なぜ本を読まなければならないのかを知らないまま、本を読みなさいと大人から言われ続けたら、本を嫌いになるのは当然でしょう。そこで私たちは、この2点について状況を変えようと読書教育プログラムを行っています」
「読みたくない本を読まされた」という回答は、いわば読書教育が押し付けになっていることへの反発ではないか。評価されるから読書をする「ふりをする」、読書が自己のものになっていない。さらに、読書をするメリットが提示されずに、読書することを押し付けられていると捉えてしまうことで、本が嫌いになる子どもが増えているのではないか、と田口氏は考えているという。
そこで「読みたくない本を読まされる」のであれば、自分の好きの延長線上に本があることを知ってもらい、好きと本を結び付けるストーリーを一緒に考える時間をつくっていく。「なぜ本を読まなければならないのか」という問いに対する答えは100人100通りある。それが読書の多様性であり、それを教えるのではなく、みんなで考えていく時間をつくる。田口さんたちは、そんな「読書の時間」を全国各地の小・中学校で授業やワークショップとして実施している。
「若者の読書離れといわれて今年で46年目。この言葉は、1977年の東京新聞で初めて使われました。以来、その状況がずっと続いている。これまでの読書推進活動では、読書好きの子どもがさらに本を読むように、何冊読んだかという数で表現されることが多かったのですが、私たちは1冊の本を深く読むことを推奨しています」
小・中学校で「いかに本を自分の武器として使うのか」学ぶべき
2020年の大人を含めた読書世論調査(毎日新聞)では、1カ月に1冊も本を読まない人が初めて50%を超えた。つまり、すでに本を読まない人のほうが多いという現状がある。
一方で、どんな目的で本を読むかという問いに対する答えには、「楽しいから」「暮らしに役立つから」「勉強や仕事のため」などがある。この「楽しいから」を「娯楽的読書」とし、「暮らしに役立つから」「勉強や仕事のため」は「機能的読書」とすると、実は「機能的読書」は減少しておらず、「娯楽的読書」のほうが減少傾向にあるという。
「つまり本は社会に出てから役に立つということ。だから、いかに本を自分の武器として使うのかを小・中学校のうちに学ぶ必要があるのではないかと。これまで学校で読書といえば情操教育として行われ、図書館の本も創作ものが大半でした。学校図書館が従来どおり『読書センター』ならばいいのですが、今後『情報学習センター』としての機能を持たせるのならば、読書の仕方を学んで学び方を変えていく必要があります。例えば、コメについて学ぶなら、コメの物語だけでなく産業としてのコメ、食事としてのコメについて考えてみる。図書館のNDC分類を基に各ジャンルを満遍なく学ぶことが重要になります」
前述の読書世論調査によれば、本を読まなければいけない年齢として、圧倒的に多くの人が10~20代と答えている。とくに10代が7割と高い。10代は自分を知り、自分の考えを作る時期だ。だがインターネットでは、自分の考えと親和性のある情報しか読まない傾向が強く、自分とは異なる考えに触れないままに大人になってしまう可能性もある。
その点で田口さんは、第三者がつくり上げたものを読んで、その考えに賛成か、反対かを考える時間を10代の子どもたちが持つには、紙の本がやはり適しているのではないかと指摘する。
「今はSNSやネットで文章を読むことすら読書だと捉えている人がいます。要約されたものをスマホで読むのも読書。とくに10~20代では、この感覚が広がっています。これはこれで大事なことかもしれませんが、ネットで読むことと、本で文章を読むことの違いとは何か。そこを『読書の時間』を通して感じ、学ぶことも必要だと考えています」
自分の「好き」をもとに本を選ぶ、なぜ読むのかのサポートが必要
学校において、読書指導の中心となるのは国語だろう。その際に重視されるのは読解力。しかし、本を読み解く力をつけるのは、あくまで読書の一部だ。そこで田口さんが手がける「読書の時間」では、本との出合い方から始まり、読んだ本についても読書感想文ではなく、動画やダンス、絵画などさまざまな表現方法でアウトプットしていく。
「基本的には、0~3歳までの間に本の読み聞かせをすることが有効だといわれています。小さいうちに言葉のシャワーをどれだけ浴びたかが重要になるというわけです。ただ、小学生になると、『自分で本を選ぶこと』が大切になってきます。本との出合い方が与えてもらうものではなく、自分で選ぶものになるからです。読まされることと、自発的に読むことには大きな違いがある。このときどうやって自分の『好き』をもとに本を選ぶのか、なぜ読むのかといったことが、うまくサポートできていないように感じています。とくに娯楽的読書から機能的読書に切り替わる小学4~6年生と、中学2年生の時期が大切です。私たちの活動もそこに重点をおいて、本の使い方を伝えたいと思っています」
何で本を読むのかを考える時間をつくることで、本を身近に感じる人が増えるのではないかと考えている。そのために「何の本を読んだらいいのかわからない」という子のために、子どもの興味と本を結び付けるイエス・ノー・チャートや、本との偶然の出合いをつくるための本の楽しみ方カードなどを作成して、読書推進体験キットとして学校に提供もしている。
これまでは、つながりのある学校を中心に授業やワークショップを行ってきたが、2023年度はモニターを集めて100自治体で開催する予定。さらに24年度以降は、それぞれの地域でNPO読書の時間の活動に共感してもらえる人を集め、授業を手がける担い手を育成し、実際に授業も行っていく体制づくりを始めている。子どもたちと本、さらには学校と社会をつなぐことができないかと模索し続けてきた1つの形だという。
「これまで読書推進活動をしてきた中で、あるときクラスでほとんど話さない子どもから、いちばん好きな本が統計資料集の『朝日年鑑』だと言われたことがあります。学校では読書感想文にする本ではありませんから、なかなか言えなかったそうです。私はすごいことだと思いました。調べることが好きな子で、私たちの活動を通じて、本にもいろいろな本があり、いかに本が役に立つかを同級生にも紹介することができた。そうした機会を、今後もつくっていきたいと考えています」
無書店地域が増える中で学校図書館はより貴重な存在に
今、本屋が一軒もない自治体数が約26.2%、456自治体(出版文化産業振興財団〈JPIC〉調査)もあることをご存じだろうか。いわゆる無書店地域が増え、日常的に本と出合える場所が減っている。その点でも、子どもが親の力を借りずに本に出合える場所として、学校図書館はより貴重な存在になっている。
また学校においても、GIGAスクール構想により図書館は「読書センター」から「情報学習センター」としての機能強化が求められている。小・中学校の児童生徒1人に1台の端末が整備され、子どもたちの学び方が変わってきているからだ。だが、その学校図書館が使われなくなっているケースが多いと田口氏は憂う。
「文部科学省が指定する学校図書標準の条件をクリアするために、古い本の廃棄が進まずに蔵書の更新ができていない図書館が多くあります。情報センターとしての機能を強化するには更新が重要ですが、文科省も学校図書標準の達成率だけを見ている。また国も学校図書館に予算を付けていますが、自治体で採択されなければ予算化されないためにほかの財源に回されている場合が少なくありません。そんな中で学校図書館は、情報センターになることが求められているわけです。子どもたちに新しい情報での学びを提供することは必要不可欠。私たちもNPOを通してサポートを続けていきたいと思っています」
図書館に足を運ばなくなった理由としては「読みたい本がない」という回答が多いという。これは学校図書標準に定められた充足率が、蔵書の更新を妨げていることの弊害とも考えられる。「子どもたちに『古い本への興味』を持たせることは非常に難しく、そうであるならばなおさら『新しい本』との出合いを増やしていく必要がある」と田口氏は指摘する。
公共図書館をはじめ学校図書館でも電子書籍を整備する学校が出てきているが、スペースに限りのある学校図書館では多くの蔵書を持てないことから、電子書籍が普及していく可能性は高い。また現在、段階的に整備されているデジタル教科書も、2025年には普及率100%が目指されており、学校現場にデジタル教材がどんどん入ってくるだろう。
「電子書籍は今後、当たり前になっていくでしょう。しかし、紙の本でしか学べないことも明確にする必要があると思っています。私がこの活動を始めたのは書店員時代、読者という存在が将来いなくなってしまうのではないかという危機感があったから。本を読みなさいというのではなく、その向こうにいる読者を育てていく。読書は人づくりです。読書がいかに人生に役に立つのか。その魅力をこれからも子どもたちに伝えていきたいと考えています」
(文:國貞文隆、注記のない写真:すべて新文化通信社提供)