2002年のトヨタショックは労働運動の転換点になった。組合は「賃上げより雇用」に舵を切った。
毎年春の同時期に、企業別労働組合が足並みをそろえて交渉することで賃上げを実現する──。日本独特の春季闘争=春闘が始まったのは1955年のこと。そのありようは、「春闘の終焉」とも評される2度の事態を経て、変貌してきた。
春闘が機能した高度成長期には、賃上げ率がインフレ(物価上昇)率をはるかに上回る状態が続いた。
「生産性向上の結果、経済が伸び、賃金も上がる形だった。賃金の伸びは、GDP(国内総生産)の伸びに重なっていた。春闘で賃上げが産業を超えて波及し、中小で賃上げ率がより高まったことから企業規模間の賃金差も縮小した」
この記事は有料会員限定です。
ログイン(会員の方はこちら)
有料会員登録
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
トピックボードAD
有料会員限定記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら