日本とドイツ「スポーツの位置付け」こんなに違う 日本の「部活の地域移行」に欠けている視点
だからこそ、地域移行の議論では社会全般を見ながら、どのようなスポーツが必要なのかを議論することが望ましい。そしてその上で、実際にその戦略を実践してみるのがいい。無理があったり、時間がかかるものもあるだろう。そこで出てきた問題や課題をもとに、もう一度議論をして、再び実践を試みる。その繰り返しが重要になってくるのではないか。
とはいえ、長年かけて日本のスポーツを確立してきた組織・人材が、これからの社会の要請にあったスポーツの価値についての議論を進めることは容易ではないだろう。日本ではスポーツを「どの時間に行うものなのか」という基本的な理解が整理されていないからだ。
生活の質や健康、地域を大切にする社会におけるスポーツは、学業や働く必要のない時間が一定以上あることが前提条件だ。つまりスポーツは余暇という位置づけだ。
先述のように日本でも趣味的なスポーツを楽しむ層もあるが、強い選手の養成を中心的目的にしてきた部活のスポーツは、まるで職業のような扱いで、これをベースに競技大会を組織する団体などが発達してきた。高齢者のゲートボールに「体育会系の雰囲気がある」といわれるのも、こういう「スポーツ観」が背景にありそうだ。
余暇の社会的インパクトを視野に
ドイツ社会を見ると、個人にとって余暇と労働は並列関係で、その割合は個人が自身の都合に合わせて決定していく感覚が強い。つまり、ドイツでは自由時間とは、仕事や学業の「余った暇(時間)」のことではないのだ。
日本でも労働時間の議論はつねにある。余暇時間が増えれば、スポーツ活動も増え、社会的インパクトにまで広がるのではないか。部活の地域移行問題は、人口動態の変化、経済構造の変化、価値の変化の中で必然的に出てきたものと言え、学校だけの問題にするのはもったいない。社会におけるスポーツの価値を熟議し、実装する機会と捉えたほうがいいのではないか。
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