中国、イランで相次いだ権威主義国家の揺らぎ SNSとZ世代による抗議運動は何を意味するか

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中国共産党は権力の中枢を習近平氏とその側近で固め、イランの政権中枢はイスラム法学者ら保守派が占めている。こうした純血的な支配は権力中枢の結束を強めることはできても、国民全体の支持を維持することは難しい。鄧小平氏が進めた改革開放政策のように国民が直接的な恩恵を受ける成果がなければ、国民の不満がSNSで簡単につながり抗議行動に発展するだろう。

2000年代に入って「権威主義の台頭」と「民主主義の衰退」が広く指摘されてきた。効率的かつ迅速に重要政策を決定し実行できる権威主義国家に対し民主主義国家は何事にも時間かかるし無駄が多い。コロナ対策がその典型だった。その結果、これからは権威主義の時代とさえいわれていた。

権威主義の優位性は明らかでない

ところが今回の中国とイランの動きは、現実に起きていることが必ずしも権威主義の優位性を示していないことを明らかにした。

中国は共産党による1949年の建国、イランは聖職者による1979年の革命以後、数十年にわたって体制を維持してきた。当初は国民の熱狂的な支持を得ていたが、時間とともにその正統性が揺らぎ、権力維持のため暴力などを使って不満を抑えてきた。そうした手法だけでは不十分だということを最高権力者が認識したのだろう。

おそらく民主主義はこれらの点について権威主義よりうまく対応できるだろう。民主主義制度には選挙や政権交代、言論や表現の自由がある。国民は正しい情報を得て自由に議論し、自らの責任と判断で政権を選択できる。ここにきて民主主義の優位点を改めて確認する必要があるだろう。

もちろん今、中国やイランの体制が揺らいでいるわけではない。今後も共産党一党支配や神政政治は続く。しかし、現代社会において権威主義に内在する矛盾が顕在化したことは、権威主義の時代の到来が幻想であることを示している。

だからといって民主主義が安泰であるわけではない。理想形の民主主義を実践することも至難の業である。主要国の多くが過度の大衆迎合に走り、国民に対して歳入に見合わない現金給付やサービス提供で財政赤字に苦しんでいる。ポピュリスティックな権力維持手法も別の危機を生みつつある。

薬師寺 克行 東洋大学教授

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やくしじ かつゆき / Katsuyuki Yakushiji

1979年東京大学卒、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸や外務省などを担当。論説委員、月刊『論座』編集長、政治部長などを務める。2011年より東洋大学社会学部教授。国際問題研究所客員研究員。専門は現代日本政治、日本外交。主な著書に『現代日本政治史』(有斐閣、2014年)、『激論! ナショナリズムと外交』(講談社、2014年)、『証言 民主党政権』(講談社、2012年)など。

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