"かすり傷"放置で「片腕切断」25歳男性の驚く顛末 「医師宣告を動画配信」する超前向きな人生観
都内の有名私大に通っていた宮野さんは、就職活動が本格化した4年生の春、一般企業に就職する姿が思い描けず「芸人になろう」と決心。元々「エンターテインメントに関わる仕事をしたい」という夢もあり、すぐに行動に移した。芸人が多く所属する大手事務所の養成所のオーディションを受け、無事に入所。大学はいったん、休学した。
養成所では、のちに「アルフォンス」というコンビを組む相方とも出会った。相方とは「友達でも家族でもない、とはいえビジネスパートナーとも割り切れない」という不思議な関係性を築きながら、一人暮らしをしていた宮野さんの家で同居生活を送った。
ラウンジでボーイのアルバイトをしながら、事務所ライブのオーディションを受ける毎日。オーディションを受けて合格しなければ、自分たちのネタをライブで披露することもできない厳しい世界だ。
病気が判明したのは、養成所に通って1年が経った頃だった。ずっと、日本一の若手漫才師を決める「M-1グランプリ」で優勝したい、という夢を抱いていた。そして、卒業ライブの投票審査を1位で通過したものの、事務所への所属審査には落ちてしまい、フリー芸人として奮起している最中だった。
「相方とは毎日のように喧嘩をしていたけど、本気で一緒にお笑いをやろうと思っていました。だから病気がわかったとき、本当に申し訳なかった。相方は僕と出会う4年前にもコンビを組んでいたのですが、養成所の卒業直前に解散してしまい、夢破れた経験があるんです。それから僕とコンビを組み、数年越しの再チャレンジの機会でした。また振り出しに戻ってしまった」
病気は本当に大変なことだ。しかし手術が終わった現在も、宮野さんはYouTubeで動画を配信し、そこではコントも披露している。芸人を続けるという選択肢もあったのではないか。
「僕らはM-1での優勝を目指していました。憧れていたフットボールアワーさんやチュートリアルさんみたいな、カッコいい漫才をしたかった。漫才以外のことに注目されてしまうのは違うな、と思ったんです。もちろん、車椅子で活動している芸人さんもいらっしゃいますし、そういった方々の笑いを僕は素晴らしいと思います。でも、僕がやりたかった漫才は、そういう形ではなかった」
「できなくなったこと」を経験した人が感じる思い
命の危険や不幸に見舞われ、「当たり前の日常」が幸せだと気づくことがある。それは、「できなくなったこと」を経験した人が感じる思いでもある。それを宮野さんは「気づかなくてもよかったこと」だと語った。
「マイナスの現状があってこそ気づく思いですよね。生きてるだけでもよかった、と感じるのは、『幸せのレベルが下がっている』と思いました。僕は、やりたいことができないとか、夢を諦めなくてはいけないということを、きちんと『つらい』と感じることにしたんです。だから、『芸人をやめよう』と決めました。それは本当につらいことでした」
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