都内の有名私大に通っていた宮野さんは、就職活動が本格化した4年生の春、一般企業に就職する姿が思い描けず「芸人になろう」と決心。元々「エンターテインメントに関わる仕事をしたい」という夢もあり、すぐに行動に移した。芸人が多く所属する大手事務所の養成所のオーディションを受け、無事に入所。大学はいったん、休学した。
養成所では、のちに「アルフォンス」というコンビを組む相方とも出会った。相方とは「友達でも家族でもない、とはいえビジネスパートナーとも割り切れない」という不思議な関係性を築きながら、一人暮らしをしていた宮野さんの家で同居生活を送った。
ラウンジでボーイのアルバイトをしながら、事務所ライブのオーディションを受ける毎日。オーディションを受けて合格しなければ、自分たちのネタをライブで披露することもできない厳しい世界だ。
病気が判明したのは、養成所に通って1年が経った頃だった。ずっと、日本一の若手漫才師を決める「M-1グランプリ」で優勝したい、という夢を抱いていた。そして、卒業ライブの投票審査を1位で通過したものの、事務所への所属審査には落ちてしまい、フリー芸人として奮起している最中だった。
「相方とは毎日のように喧嘩をしていたけど、本気で一緒にお笑いをやろうと思っていました。だから病気がわかったとき、本当に申し訳なかった。相方は僕と出会う4年前にもコンビを組んでいたのですが、養成所の卒業直前に解散してしまい、夢破れた経験があるんです。それから僕とコンビを組み、数年越しの再チャレンジの機会でした。また振り出しに戻ってしまった」
病気は本当に大変なことだ。しかし手術が終わった現在も、宮野さんはYouTubeで動画を配信し、そこではコントも披露している。芸人を続けるという選択肢もあったのではないか。
この記事は有料会員限定です
残り 2994文字
