最後の国鉄急行形気動車「キハ28」引退までの軌跡 登場から約60年、いすみ鉄道では2013年導入

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キハ58系が登場する以前の国鉄のディーゼルカーでは、エンジンの出力が小さいこともあって軽量化を優先した造りとしていた。キハ58系は車体の幅を広げて裾を絞ることで車内の寸法を可能な限り広く取り、客室設備の水準を向上させている。キハ58系の中では、客室設備や搭載したエンジンの台数で造り分けが行われ、おもな車両として普通車(登場時は2等車)用ではボックス席を備え、エンジンを2台備えたキハ58と1台のみのキハ28が造られた。また、グリーン車(当時は1等車)用ではリクライニングシートを備え、エンジンを1台搭載したキロ28が造られている。

いすみ鉄道のキハ28 2346は1964年に製造され、当時はキハ28 346と名乗っていた。登場時は冷房装置がなかったが、1972年に冷房化、その際に車号に2000を足してキハ28 2346としている。キハ58系では冷房装置の電源を別に備える必要があり、キハ28 2346も冷房化に合わせて冷房用の電源を搭載したのだが、番号を変えることで冷房用の電源付きであることを強調している。

東北から四国・九州まで活躍したキハ58系だが、キハ28 2346は米子・鳥取といった山陰地区で使用され、国鉄末期には北陸地方に活躍の場を移した。北陸地方では七尾線で使用されてJR西日本に引き継がれたが、1991年に七尾線が電化されると富山地区に移動し、高山本線の富山方で使用された。1996年には氷見線や城端線に活躍の場を移すが、一時期は小浜線で使用されたこともあった。

かつての城端線・氷見線の塗装。キハ28にも塗られた(筆者撮影)

最後は高山本線の猪谷―富山間で使用されたが、これは富山市による高山本線活性化の社会実験が行われた際、列車の増発に充当されたものだった。2011年3月に社会実験が終了したことで、列車の運行も終了してJR西日本での活躍を終えた。

2013年に営業運転開始

いすみ鉄道へは2012年に搬入され、2013年3月から営業運転を開始した。この際に定期検査を受けた上、車体色は登場当時の国鉄急行色に戻されている。JR発足後、キハ58系では路線によって個性ある車体色に塗り替えが行われたが、キハ28 2346も氷見線・城端線の時代は白(アイボリー)をベースとして青や黄色などを組み合わせた色に塗られていた。小浜線の時代では、青をベースとして白いラインに塗られたが、氷見線・城端線に戻ると、今度はワインレッドをベースとして白いラインに塗り替えられ、この塗装のまま、高山本線で引退している。

キハ58系の部品が使用された「ゆふいんの森」(筆者撮影)

キハ58系では定期運行終了後もイベント運行が行われたが、これとは別に団体用やイベント運行用に改造された専用の車両も数多くあり、ジョイフルトレインと呼ばれていた。これらのキハ58系もすでに引退済みで、キハ58系の部品が使用された車両としては、JR九州の「ゆふいんの森」で使用されているキハ71系の中間車が知られている。2022年現在、キハ71系は現役で使用されているが、車体やエンジンを載せ替えているのでキハ58系時代の面影はまったくない。

キハ28 2346は定期運行終了後、2023年2月頃までは貸切等での不定期運行が予定されている。老朽化が進行した上、交換するべき部品が枯渇したことで引退することになったが、登場から60年近くにわたって良く維持できたと思うと感慨深い。

柴田 東吾 鉄道趣味ライター

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しばた とうご / Tougo Shibata

1974年東京都生まれ。大学の電気工学科を卒業後、信号機器メーカー、鉄道会社勤務等を経て、現在フリー。JR・私鉄路線は一通り踏破したが、2019年に沖縄モノレール「ゆいレール」が延伸して返上、現在は車両研究が主力で、技術・形態・運用・保守・転配・履歴等の研究を行う。『Rail Magazine』(ネコ・パブリッシング)や『鉄道ジャーナル』など、寄稿多数。

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