「自力で最も稼いだ女性」を自認するのは傲慢か? 長者番付に載ったロレアル初女性社長の「本心」
フォーブスの記者に純資産についてのコメントは差し控えると伝えた時、リストに載る女性たちの多くがコメントせず、するつもりもないことを彼女が聞かせてくれた。
そして、それはフォーブスのリストに掲載されることがわかった時に、男性がとるリアクションとはまるっきり違うものである、と。
その意味を尋ねた私に彼女は教えてくれた。通常、男性はリストへの掲載を望むに留まらず、フォーブスが提示した数字よりも自分たちの純資産はもっと多いはずだ、と不平をこぼすことも珍しくないという。
さらには、自分たちの価値を証明するため、財務記録を隅から隅まで提示したうえで、純資産額を上げ、リストのランキングを上げるよう毎度のように要求してくると。よくある反応が、男女でこうも違うなんておかしいと思わない?
自分の才能や能力を隠すようになってはいけない
あまりにも長い間、女性は自分を小さく見せるように教わってきた。そして、社会が理想とする成功のかたちに同調するよう、美しくあれ、親切であれ、と。
それだけではない。パートナーが男性なら、仕事のうえでも金銭面でも相手の上をいってはならない、そうした力関係は2人の間にヒビを入れると教わってきたのだ。
同様に、男性は金銭的な成功を収めることのみを、成功の指標にするよう教えを受けてきた。一家の大黒柱になれ、と。
こんな考えは時代遅れで、型にはまった思い込みだと頭ではわかっているにもかかわらず、潜在意識は、これらの思い込みを相も変わらず真実だとはき違えている。社会全体が、さらには善意の家族までもが、これを真実として広めることも少なくない。
私はいまだに実際の純資産を明かすこともなければ、コメントもしていない。けれど、フォーブスの自力で最も稼いだ女性リストに掲載されたことを、もはや隠したりはしない。
手に入れた勝利や功績を公言することは、それが些細なことだとしても、なぜかしっくりこない。その気持ちはよくわかる。なぜなら、私たちは謙虚であれと教わってきたからだ。
勝利の大小を問わず、過小評価するように言われてきた私たちは、自分の才能や能力を隠すようになっていく。小学校に通う頃から、答えを知っているのに手を挙げなかったことをおぼえている。
高校時代、「最大の先延ばし屋」に投票された時も、誰にも言わなかったことがある。確かに私は、学校では間違いなく先延ばしの日々を送っていたけれど、仕事を3つも掛け持ちし、車を買うお金を貯めていたのだ。
そして、大学のダンスチームに自分が選ばれ、友人の1人が選ばれなかった時にはこう言った。
審査員は大きなミスをしちゃったわね、私はたまたまラッキーだっただけなのよ、と。
今週はデニムのボタンが閉まらなかった、自宅がかなり散らかっている、そんなグチをこぼせば周りの女性たちがあっという間に共感し、結びつくことを、私たちは早々に学ぶ。
勝利を公言することは自慢げで、互いのきずなを断ち切り、互いを遠ざける、そんな恐れはもう終わりにしなくちゃ!
私たちのために、私たちの姉妹、母親、おば、継母、祖母、曾祖母、娘や孫娘、そしてすべての女性たちのために、これを変える必要がある。
自分たちの勝利を互いに祝い、彼女の勝利を自分のことのように祝う必要があるのだ。
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