ヤマザキマリと考える「情報の真偽を見極める力」 情報の数々を自ら判断する力を鍛える必要

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こうした展開の顛末は、100年前の第一次世界大戦とスペイン風邪パンデミックの直後の、ナチズムとファシズムによる独裁を重ね合わせることもできるでしょう。

そして現代、パンデミックが及ぼしたあらゆる困窮からまだ抜け切れてもいないのに、ロシアとウクライナでは戦争が始まり、ミャンマーやアフガニスタンやシリアの紛争もいまだに終わっていません。

頭上から爆弾が降ってくるわけではなくても、日本も以前までのように暮らしていくのが難しくなる可能性やリスクをいくらでも抱えています。こんなとき、人々は生き抜いていくためのモチベーションの向上や安寧を求めて様々な試行錯誤を試みるわけですが、例えば映画や音楽などのエンターテインメントや、顕著なものであればSNSがそういった人たちにとっての恰好の息抜きの場となっていると言えます。

特にSNSの普及は象徴的なものかもしれません。世知辛い状況を乗り越えるために誰かの強い言葉にすがりたいという気持ちが芽生えてしまうのは、群生社会に生きる人間の特徴であり、自分たちを救ってくれそうな言葉を発する人を求めるようになるのも仕方がありません。

大きな同調圧力との戦い

しかし、気をつけなければならないのは、そうしたバーチャルコミュニケーションのなかにおいても大きな同調圧力があるということです。「周りが皆そうしているから、じゃあ自分も」という判断に任せていると、100年前のドイツやイタリアのような道を辿る可能性も出てきます。

自分独自の思想というのはどれも、他者が発する言葉が構築されなければ得られないものです。他者の言葉を求めることは決して間違いではありませんが、その動機は「周りが皆支持しているし、それが正しいような気がする」というように、極めて安直で短絡的だったりもする。肝心なのは、拾ってきた言葉を自分の思考力によって分析し、じっくり噛み砕くための知力を、私たちは鍛えなければいけないはずなのです。

コロナ禍になってから私は、以前にも増して様々なジャンルの映画や本を鑑賞してきましたが、たまたまテレビで見た「地球温暖化の嘘」を題材にしたアメリカのドキュメンタリーでは、現代社会における「情報」の実態とバックグラウンドというものを、あらためて考えさせられました。

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