パウエルFRB議長が40年前の話をいま強調する訳 1970年代の「失敗」とボルカー氏の荒療治を例に
これを今日に当てはめれば、足元ではインフレ期待はまだ低位で安定しているものの慢心は禁物だということだ。高インフレが長引けば長引くほど、高いインフレ期待が広く定着し、インフレは執拗さを増す。つまり第2の教訓は、金融当局として今のうちに強力な引き締めを行うことの正当性を強調するためのものといえる。
インフレ抑制失敗の過酷な代償
そして第3の教訓が、「仕事はやり遂げるまで続ける必要がある」ということだ。パウエル氏は、「歴史は時期尚早の金融緩和を強く戒めている」とも語っている。
1980年代初頭にボルカー氏がインフレ退治に成功する前には、約15年にわたってインフレ抑制に「失敗」した歴史がある。
パウエル氏は、ボルカー氏より前の時代のFRBがインフレ抑制に何度も失敗(multiple failed attempts)したため、結果的に長期に及ぶ非常に厳しい金融引き締め策が必要になったとし、「われわれが目指すのは、決意ある行動を今起こすことによって、そうした結果を避けることだ」と述べた。
パウエル氏は詳細には触れていないが、ボルカー氏によるインフレ退治は壮絶なものだった。公開市場操作で通貨供給量(マネーサプライ)を一気に絞り込み、政策金利のフェデラルファンド(FF)レートは1981年1月には19%台まで急騰した。
この荒療治によって一時15%近くに達したインフレ率は1983年には3%台まで沈静化し、その後の長期的な経済成長と「グレート・モデレーション(大いなる安定)」と呼ばれるインフレ安定期の礎ができたのだが、代償も大きかった。
アメリカ経済は1980年と1982年にマイナス成長(景気後退)に転落。雇用も悪化し、ボルカー氏就任時に6.0%だった失業率は1982年11月には10.8%に上昇した。アメリカの高金利政策とそれに伴うドル高は、メキシコなどの累積債務危機の引き金ともなった。
こうした過酷な代償を伴うインフレ退治は何としても避けなければならない。だからこそパウエル氏は、「(インフレ根絶という)仕事をやり遂げたと確信するまで金融引き締めを続けていく」という決意の言葉を繰り返し、今回の演説を締めくくったのである。
自らの“診断ミス”と初動の遅れ
今回の演説とその後の経済指標を考えれば、9月のFOMCでは6月、7月と同様、通常の3倍に相当する0.75%の追加利上げが決定される公算が大きい。それをマーケットに織り込ませるための演説であったともいえる。
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