電通マンが、副校長先生になるまで

電通のクリエーティブ・ディレクターである福田崇さんは現在50歳。東京大学から電通に入社後はマーケティング部門からスタートし、その後、クリエーティブ部門に異動。CMなどを中心に制作チームのリーダーを務め、2015年には世界最大級の広告の祭典であるカンヌライオンズで審査員を経験した経歴を持つ。

福田 崇(ふくだ・たかし)
クリエーティブ・ディレクター、ブランドコンサルタント。埼玉県出身。1972年生まれ。開成高校から東京大学経済学部経営学科卒業。電通入社後は、クリエーティブ・ディレクターとして活躍するほか、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル2015で審査員を務める。「教育ガラガラポンプロジェクト」代表。22年度より、電通から出向する形で、茨城県立水海道第一高等学校・附属中学校 副校長を務める

そんな福田さんが民間公募で選ばれ、今年4月に電通から出向という形で茨城県立水海道第一高校・附属中学校の副校長を務めることになった。来年には校長に昇格する予定だ。福田さんは「クリエーティブ・ディレクターの仕事は自分の天職だと思っています。その意味では、今も学校を対象としてクリエーティブディレクションの仕事をしていると考えています」と話すが、なぜ福田さんは教育の仕事をしたいと思ったのだろうか。

「私は広告の仕事に長年携わってきましたが、ここ数年、自分のクリエーティブに広がりを感じられなくなっていました。もちろん一定以上のものは作れるのですが、もっとブレークスルーしたいと思うようになったのです。教育に関しては、19年から自分で教育プロジェクトを立ち上げたことで教育界にいろんな面識もでき、自分なりに勉強もしてきました。しかし、実際の教育現場を知らずに、このままこの仕事をしていていいのか。いつか現場を経験する必要があるのではないかと考えるようになったのです」

福田さんが立ち上げた教育プロジェクトとは「教育ガラガラポンプロジェクト」という。新しい教育を提案している人たちとネットワークを構築し、日本の教育改革を大きなトレンドにすることを目的につくられたもの。福田さんは改革意欲の高い教育者と面識ができたことで、彼らから得た知見を基に講演活動などを行っていた。とはいえ、広告の仕事をしてきた福田さんがなぜ教育に関心を持つようになったのだろう。

「きっかけは娘が生まれたことです。娘をどう教育していけばいいのか。そこで教育について考えるようになったのです。そのころ自宅の周辺にインターナショナルスクールやプリスクールがたくさんできて、親の教育熱はとても高いものなのだな、ということに気づきました。教育が動いている場所にたまたま住んでいたことで、教育をビジネスチャンスと捉えるべきだと思うようになったのです」

こうしたさまざまな状況が福田さんを教育事業へと向かわせることになった。福田さんは出向や任期などの条件などを鑑み、茨城県の民間校長公募に応募。結果、約1700人の応募者の中から選ばれた3人(4人合格で1人は辞退)のうちの1人となった。

「今の学校は勉強と部活で生徒の時間は100%埋まっており、決められたものをこなすだけという時間の使い方をしています。それでは不健全だと私は考えました。もっと生徒自身に主体的な学びが必要なのではないか。その主体的な学びの部分を私はクリエーティブにしたいと訴えたのです。それが選ばれた理由かもしれません」

「面白い!」から、学びが始まる

今年4月から茨城県立水海道第一高校・附属中学校の副校長となった福田さん。現在はどのような仕事をしているのだろうか。

「本来なら校長見習いという立場で、いわゆる管理職がやる仕事を覚えることがメインとなります。しかし、それではつまらない。そこで自分で学びのプロジェクトを立ち上げて、課外授業という形でイベントを開催し、生徒たちからフィードバックをもらいながら、また企画立案するというイベントプロデューサーのような仕事をしています」

今年5月に開催された、プロのCM監督を招いての「Premiere Pro」を使った編集教室。作成した動画は、文化祭である「亀陵祭」で上映された
電通からクリエーターを招いて「面白い」についての「面白い授業」を開催した。授業終了後に取ったアンケートでは、生徒満足度は94.4%だったという

生活スタイルもがらりと変わった。都内から単身赴任して茨城県内に住み、早朝に起きて、帰宅後は勉強し、早めに就寝するというクリエーティブ・ディレクター時代とは真逆の生活を送っている。

「なじむには時間がかかるだろう、職場でも敵対する人がいるかもしれない、と不安もあったのですが、いらぬ心配でした。早い段階でやりたいことを表明し、ほかの先生とは職域も違い、期限付きの出向であることがわかっているので、いわば、改革の破壊者ではないと周囲には認識されたようです。当初は畑違いの奇妙なものを見るような感じでしたが(笑)、今は先生や生徒だけでなく、保護者の方からも学校説明会などを通して、広告畑の珍しい人がいると興味関心を持ってもらっている状況です」

福田さんが教育の現場に入って半年近くが経った。当初描いたイメージと、実際の現場ではどのような違いがあったのだろうか。

「実際の現場を見てみると、もう少し生徒にゆとりを与えて、自分で考える時間を増やしたほうがいいのではないか、そう思っています。先生たちも生徒に何か課題を与えないと勉強しないのでは、と考えている節があり、私が高校生だった時代と比べて、課題もテストも多すぎるように見えます」

しかし、それは先生たちのせいばかりではないとも福田さんは言う。先生自身も発想を自由に持つことができないほど、学校の行事などがシステマチックに出来上がっているので、そのシステムによって先生自身が自分で自らを追い込んでいるように感じられるという。

そうした状況を目の当たりにした福田さんは、少しずつだが課外イベントを手始めに、生徒たちや先生にも自由でクリエーティブな学びという新たな視点を提供しようと努めている。その基本は、これまで感じたことのない刺激を与えること。実際のイベントでは電通の出向元である部署が協力体制にあるほか、現役の東大生や面白い経歴を持った社会人とのトークライブなどを実施している。水海道一高では今年から附属中を開設したが、高校生だけでなく、中学生たちも福田さんのイベントに熱心に参加しているという。

ECCの新規事業開発チームとVR英会話を体験する試み。今後は、新規プログラムを共同開発し、IBARAKIドリーム・パス事業として実施する予定だという

「私たちの中高生時代と比べると、いわゆる“よい子”が多い印象ですね。与えられたことをそつなくこなすことは得意で、反対に自分で進んで何かをやり始めるには時間がかかる傾向があるかな、と感じます。与えられたことを頑張る子から、自分から頑張る子にする。それが私の大きなミッションです。これからは枠にはまらず、外からの刺激を生徒たちに与え続けていきたい。また同時に先生方にもイベントを見てもらうことで、授業のやり方の参考にしてほしいと考えています」

目指すのは「スーパークリエーティブハイスクール」

福田さんは、こうした学びのイベントを、生徒たちにも運営に参加してもらう形で学校行事として回っていく状態にする方針だ。そして、自由でクリエーティブな学びを勉強、部活動に次ぐ3本目の柱にしていきたいという。そのうえで、校務分掌として組織内にクリエーティブ部を設置し、最終的にはスーパーサイエンスハイスクールと並ぶ、“スーパークリエーティブハイスクール”のようなモデル校にすることを目標としている。

「少子化にもかかわらず、今日本では新たな教育を目指した面白い学校がどんどん立ち上がっています。今のような普通の進学校というスタイルは、将来的にはオールドスタイルとなっていくのかもしれません。学校でどんな面白い勉強ができるのか、そこからどんな人材が輩出しているのか。これからはそうした新しいタイプの競争に変わってくると思います。大学も学びの特色を出すことに注力しており、大学だけでなく高校も同じ方向に進んでいくと考えています」

福田さんは来年4月から校長に就任する。リーダーとしてどのように学校を変えていきたいと思っているのか。最後に抱負を語ってもらった。

「私たちの高校は県の組織の一部なので、ルーチンで回っている部分がすごく多いと感じています。そのルーチンワークに、外部の力もどんどん借りて、少しでも刺激を与えたい。そう思って、この1年は仕事をしていくつもりです。そして、そこから生まれた萌芽を生かしながら、スーパークリエーティブハイスクールに生まれ変われるような機会をこれからつかんでいきたい。そして、任期の残り3年間でどこまで学校の風土を変えることができるのか。将来的には新たな学校づくりに向けて、先生や生徒たちが自走できるような組織にできればと思っています」

(文:國貞文隆、写真:すべて福田氏提供)